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2025/01/24 20:10 |
力ちゃんはリアルギャルゲーの主人公とか、知らない人にはわからない。
 最近アクアプラスフェスタのレポートを書いたのですが、編プロの人から「柚木涼香さんが話してる小山力也さんのエピソードのくだりがよくわからないのですが」とのツッコミが入りました。話の内容は、スタジオの端っこに座ってた力ちゃんが、田中敦子さんが入ってきたら嬉しそうに「あっちゃん、ここ、ここ」と呼んで、それで怒った柚木さんとまた喧嘩になった…という微笑ましいエピソード。会場でも盛り上がったのでさらっと書いたのですが、考えてみるとこのやりとり、前後の説明がない。

 もちろん『うたわれるもの』ファンなら説明無用のエピソードなんですが、「力ちゃんがいないからすることがない」しかり、前提知識がないと笑えないんですね。イベントはファンばっかりだから何の問題もないんですが、問題は作品ファン以外の多くの人が目にする媒体で記事を掲載する場合です。編集さんはあまりそういうのに詳しくない人だったので、まじめな口調でまず説明しました。

「小山力也さんはシャイな人なんですが、『24』のジャック・バウアー役のイメージや、飾りのない人柄でモテモテなんですよ」
「それはアニメの作品の中での話なんですか?」
「(そう思うよなあ)いえ、ラジオとかでの話です。で、女性声優に無差別にモテまくってデレデレする小山さんに、ヒロイン役の柚木さんが嫉妬したりスネたりして喧嘩するのがいつものやりとりなんです。小山さんは田中敦子さんとつきあいが長くて仲がいいので、その様子に柚木さんがまた怒って喧嘩になった、という話ですね」
「はぁ、なるほど……」

 かなりはしょりましたがなんとか理解はしてもらえたようです。ただ問題は、これを記事でどう書くか。webなら多少クドくても簡単な補足を入れればよいのですが、文字数に決めがある紙媒体の場合そうはいきません。結局そのくだりは残念だけど差し替えという線に落ち着きそうなのですが。

 楽しむために前提条件のあるネタを、知らない人にわかるように説明するのは難しいし、大変。しかしお約束のネタをクドクドと説明されると知っているファンは興ざめ。なかなか、さじ加減が難しいです。『うたわれるものらじお』も、もう2年前の話ですしね。

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劇場版第1作DVDが21日発売!第2弾『ひぐらしのなく頃に 誓』ロケ現場を取材!及川監督&メインキャスト陣にインタビュー!!
某県雛見沢村まで行ってきました。俺たちの梨花さんはやはりかわいい。

GAME JAPAN1月号
鉄人中里のMJ4極め道7かいめ掲載。今回は『MJ4』アメーバカップの話です。
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2008/12/05 11:16 | Comments(2) | TrackBack() | 雑記(アニメ系)
人権訴訟社会にサイバーな明日は来ない。
 先日神戸から帰京したとき、新幹線を使いまして。なんとなく新大阪ではなく西明石から乗ってみたところ、1時間に1、2本しか来ないは、間違えて博多方面行きに乗り込むはでひどい目にあいました。西明石なんてもう使うもんか。それというのも、リニアモーターカーがさっさと走って新大阪に止まらないのがいけないのです。もちろん急にはできないのはわかってるんですが、技術的に実用化されたのはもう30年以上も前。バブルのときにさっさと作っとけばよかったのにと思わずにはいられません。21世紀はやってきましたが、僕らが夢見てたほどサイバーでパンクな世の中は来ていないようです。

 もちろん、インターネットという怪物の普及以前と以後では、別のステージといっていいぐらいの差異があるのはわかっているのですが、もうちょっとなんというか、サイバーでパンクな何かが欲しいではないですか。似たような話はデジタリアン渡邊浩弐さんが10数年も前から、「僕らはマルチメディア時代の入り口で停滞し続けている」といったニュアンスの事を言っていました。その間、ハードウェアと回線速度は、おそろしい速度で進化しました。僕がパソコン通信を始めたころの速度が2400か1200bpsだったのが、今や100Gbps。何倍か比較するのも億劫です。しかし、「巨大なソフトウェアも一瞬でダウンロード」か「掲示板に長文をアップすると、表示にコストがかかると怒られる」時代という差異はあっても、テキストベースのコミュニケーションが中心であることには変わりはありません。skypeやテレビ電話的なサービスはありますが、放送局レベルでは大昔から国際2元中継やらをやっていたのが、個人レベルに降りてきたにすぎません。

 そのあたりの時計があまり動いていないように感じられるのは、結局、ハードウェア、機械の側からのアプローチには限界があるということなのではないかと思っていたりします。ジャックインや仮想現実と言った、20世紀的発想での21世紀は、突き詰めるとヒトの脳に行き当たります。どのような電気刺激を送り込むことで仮想を現実と認識させるか、逆にネットワーク上に人間のパーソナリティや志向パターン、ペルソナそのものを走らせる…といった方向に行く場合、ヒトの脳を知ることが第一になるのは言うまでもありません。

 で、ですね。その、脳科学を実用に結びつける上で、現代ほど劣悪な環境はないのではないかと。僕らは科学の探究で現代がもっとも整っていると考えがちですが、「理論」ではなく「実践・実験」の観点から見ると、現代ほど枷の多い時代はないのではないかと思います。昔、アメリカで戦後すぐ、とある脳科学者が、盲目のヒトの脳内に、電気信号で風景を描き出す装置を作り出した話を見た事があります。博士当人以外には、その装置の研究はおろかメンテナンスさえできず、博士亡き今は表示される光点も減り、もはや外界の識別は難しいそうです。

 ナチスドイツは多くのトンデモも含めて「我がナチスの科学力は世界一ぃぃぃぃぃ」と言われるほどの研究成果を残しましたが、科学技術を発展させるのに戦争ほど優れた状況はないと言います。僕らがこうして楽しんでいるインターネットだって、東西冷戦下の軍事研究の嬉しい副産物にすぎません。前世紀的戦争において発展するのは、科学だけではありません。医術も、当時、水面下でどれほど発展したかわかりません。平たく言えば人体実験ですよ。国家が強権を発動して資源を集中し、人権を無視しちゃる実験体がゴロゴロしてる環境は、純粋に研究目的でいえばすばらしい環境と言えるでしょう。サルやマウスで実験するより、ヒトを開頭して電極ブッ指したほうが早いのは言うまでもありません。洗脳やロボトミーの研究と言えば、やっぱ共産圏ですしね。

 ……もちろん、世界中で共産主義革命が起こって個人の人権が蹂躙されて独裁マンセー、なんて世界は最悪ですよ? ただ、表向き全ての研究に倫理の鎖がキツくかけられた世界が、マッドなサイエンティストたちにとって住みづらいのは確かだと思います。仮想現実にダイブする作品と言えば、参加者が目覚めなくなるのが定番ですが、現実的には訴訟で何十回会社をこかしても払いきれないような賠償金を吹っかけられるでしょう。

 で、決定的なのは、仮想現実側に踏み込んだ技術の発達は、現実の生産性を損なうということです。たとえば、300万ニュー円ほど投資すれば、現実のアイドルや声優やヒナギクと寸分違わぬ存在といつでもセックスできるとします。果たして、うちで寝っころがってるカカアや馬鹿なガキに生涯年収の大半をつぎ込もうと思うでしょうか。出生率はズドンと落ち込み、最新技術にも避妊にも縁のないストリートの住人のみが生めや増やせやの大合唱で、スラム化と経済格差は絶望的なまでに広がるでしょう。現在出回っているような、ドット絵のキャラクターが、クリックしたモンスターをオートで殴り続けるようなMMORPGでも、数百万人の若者を社会から奪っているのです。これ以上の進化を社会の上の方は積極的には望まないんじゃないでしょうか。

 しかしそう考えると、サイバーパンク的な世界観というのはよくできています。科学技術、それも医療などではなく娯楽の分野にも行き過ぎた投資と技術追求をする社会の頭は、倫理が治める国家よりも利潤を法とする企業体であるべきです。健康な脳や肉体を手に入れるのに、住民が住民登録を持たないストリートは打ってつけです。単純労働を機械化と移民に奪われた大衆は、退廃的な娯楽にふける時間と理由があります。そういう意味で考えると、九龍城砦界隈なんかはいい線行ってたのかもしれません。できれば21世紀に起こる科学変化を見たかった。諸々考えていくと、潜る系の技術は、中国が圧倒的な先進国となる時代が来るかもしれませんね。加油! 中国!

 なんでそこまで必死なのかって?

 急いでもらわないと困るんですよ。僕が元気な間に2次元に入れるようにしてもらわないと。


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Webラジオ『ヒャッコ とらのこラジオ』第1回収録現場におじゃまして、藤原啓治さん&ゲストの折笠富美子さんにインタビュー!!
サブリーダー藤原さんほんと面白くてチャーミングな方でした。

2008/11/13 22:51 | Comments(1) | TrackBack() | 雑記(ゲーム系)
もやもやを煮詰めて羅列してみる。
 取材がてら関西に帰ってました。実家でのんびりしながらチェックしていたのが、『プリンセスナイン 如月女子高野球部』です。イナズマボールを操る早川涼が所属する如月女子高の女生徒たちが甲子園を目指す内容で、男女の体力差等に関してはさくっと無視というか、こういう大きな枠での嘘は嫌いじゃありません。しかしそれ以上に印象に残ったのは、ヒロインの憧れの男である高杉宏樹のバタくさいこと! 子安さんが演じているのですが、熱くて一途で誠実なイケメンスポーツマン。こういうキャラを演じさせたら子安さんは本当に天才的ですね。

 しかし時代を感じたのは、女子高を舞台にした女の子が主人公の作品で、こういうバタくさい王子様とのベタな恋愛模様が堂々と展開できること。今のフォーマットに流し込むと、どうしてもゆりんゆりんな感じになるか、いいとこ幼馴染みの気弱な彼の方が本命になるはずです。もちろん、少女マンガ発の作品は別なんですが。

 男性向けアニメの転換は、ギャルゲー・エロゲー的フォーマットの受け入れあたりからはっきりとしてきました。コンテンツの供給源がギャルゲーや柔らかいライトノベルに移っていったのだから当然といえば当然なのですが、「何のとりえもない駄目な、オタクが感情移入できるキャラクターが、とにかくいろんな女子に囲まれてモテまくる」という構図が圧倒的に支配的になりました。そうした、異性としての男性の存在を極限までそぎ落とした先にあるのがゆりんゆりん文化だと思います。

 もちろん、それ以前からこの傾向はありました。『天地無用』や『サクラ大戦』だって構図としてはハーレム構造の作品ですし、あかほりさとる作品の大半はそうです。『プリンセスナイン』が1998年にこういうド直球を投げられたのは、ひとえにNHKBS2での放送だったからだと思います。しかし、2000年以前と以後では、やはり温度の違いを感じるのですよ。「ボーイミーツガール」だった作品群が「ガールズアラウンドボーイ」に変わり、主人公の主体性と男性性が削ぎ落とされていってるって言えばいいでしょうか。鈍感だったり、シャイだったり、子どもだったり、女嫌いだったりする主人公が、大勢の女の子にもみくちゃにされるのが、昨今のギャルゲー型アニメのスタンダードといっていいと思います。

 しかし、告白と受容、告白と拒絶、選ばれる者と選ばれない者、といった状況の変化は、恋愛要素のあるドラマのメリハリをつけるためには本来必須のものです。状況が決定的には進展しないまま、ありとあらゆるフラグを立て続け、終わらない学園祭を踊り続ける、というのは、かなり爛れた停滞なんじゃないかなぁと、ちょっと考えさせられました。

 とにかくたくさん女の子が出てくるが、どうやらみんな俺の事が好きらしい型のアニメを、1クールで放送するのでは、どうやっても密度は薄くなります。物語としてのメリハリが欠けると、ユーザーを引き込むのは難しくなります。ではお色気を入れましょう。お色気は規制で難しいです。ではDVDはもっと過激にしましょう、というのが最近の潮流なわけですが……なんか先のない話だと、個人的には思ってしまうのです。

 これに近いところでは、主人公以外の異性の影を生理的レベルで拒絶する声が段々大きくなってるのも気になります。安定した空間で無制限に愛情を向けられる停滞が求められているってことなんでしょうか。……あ、砂糖水にはつかっていたいけど、やっぱりドラマ的な起伏はほしいから、外的ストレスの発生源をヒロインの側に持っていって、ツンデレやヤンデレが生まれてるのかな。

 ひどくまとまりがなくてすいませんが、そのうちこのへんは考えを整理しておきたいと思います。もちろん、エロいアニメもエロい女の子も大好きなんですよ? ただ、そうした作品を取り巻く状況が、どうにもしっくり来ていないこともまた事実なのです。購買力のあるエロゲオタに心地よい空間作りに尖鋭化していって、サービス描写をエスカレートさせていって、その先でたとえばアニメの作品作りに大きな規制がかけられた時に、あとにちゃんと残るものはあるのかと。

 画一的なドラマ作りの手法がもてはやされ、その手法が陳腐化した後のテレビドラマ界は、砂漠化しました。アニメは安泰だとは、誰にもいえないと思うのです。

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【Animics】アニミックス2008、会場風景をレポート!
大阪のアニミックスブース記事。
串田アキラさんが歩いててテンション上がりました。

2008/11/13 03:06 | Comments(2) | TrackBack() | 雑記(アニメ系)

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