若木民喜さんの『神のみぞ知るセカイ』が、とても面白いです。
若木民喜さんと言えば、最近、想像以上のギリギリの生活を漫画家自身が告白したことで大きな話題になった漫画家さんです。連載デビュー作となった『聖結晶アルバトロス』は、少年サンデーの2006年1号から51号まで連載されて、やや打ち切りムードを漂わせながら終了しました。『聖結晶アルバトロス』の印象は、「絵柄や女の子はかわいらしいのに、設定の作りこみが少年誌向けではない。もったいない」という感じでした。
そんな若木民喜さんが満を持して発表した最新作が、『神のみぞ知るセカイ』です。ストーリーは、ギャルゲーをヤりつくした神とも言うべき少年(つまり俺たち)が、現実の少女たちを攻略しなければイケない立場に追い込まれる、というもの。二次元のテクニックで三次元の女の子をオトす……という二次元のコミック。なんだか頭がグラグラするパラドックスですが、この作品ではその違和感をいい意味で昇華していると思います。
その理由のひとつは、若木さんがギャルゲーというものを知り尽くしていること。作中に出てくる「テンプレート通りの少女たち」は、ギャルゲーのテンプレートを一歩も外していません。まったくぶれていません。これは、通常なら悪口になります。しかし、「テンプレート通りのキャラクターを意識的に作る」には、そのテンプレート、すなわちジャンルにおける造詣の基本をすべて身につけていなければなりません。そんなことは、神様にだってできません。
ではなぜ、若木さんにはそれができたのでしょうか。それは、若木さんがギャルゲーの神レベルのプレイヤーである、というのが一段目。二段目は、『神のみぞ知るセカイ』がプレイヤー視点で作られた作品であることです。キャラクターのツボや、動き方に対する判断が、「ギャルゲー・エロゲープレイヤーの目線での」判断なんですね。僕らは、人間の心や、性格や、個性を完全に把握することはできません。しかし、「ゲームをプレイしている自分の心」に関しては、誰よりもリアルに知っているのです。だからこそ、若木さんがありきたりなギャルゲープレイヤーであればあるほど、その判断は、僕らありきたりなギャルゲープレイヤーに「グッと来る」のです。だから、『神のみぞ知るセカイ』は、その価値観を共有できる人にとっては、最高に面白いのです。
●神々が抱えるストレス
めでたしめでたし。……なのですが実は、『神のみぞ知るセカイ』がキモチいい最大の理由は他にあります。こちらの理由は、すれっからしのギャルゲーマーほど強く同意してもらえると思います。それは、
「主人公が常に正解を選ぶこと」
です。主人公は、セーブロードもないクソゲーバランスのゲームに対して、経験に即した判断からTrue ENDまでのルートをまっすぐに立てます。時に失敗はあっても、それはすべてTrue ENDに至るために必要な、最低限のルート回収なのです。
こんな主人公に、憧れたことはありませんか? だって僕たちギャルゲーの神々は、いつだって答を知っているのです。おそらく、このあとはこうなる。おそらく、この女の子はこう押せばオチる。わかっているのに、延々数十分、数時間と日常と非日常を繰り返させられるのです。そうしなければ、ゲームが成立しないからですね。しかし、こうした不合理を、ギャルゲーは総じて「主人公の鈍感さ」で解決してしまいます。わかりきった答が目の前にあるのに、主人公の珍妙な判断と暴走に引きずりまわされる……それは、わかっているプレイヤーにとって耐え難いストレスです。そうした鬱屈した感情を、この作品は一刀両断に解消してくれるのです。これがキモチよくないはずがナイ! 僕は頼まれ仕事でエロゲのシナリオを書くとき、あまりにもお粗末な違和感を感じるポイントに関しては、こっそりと修正したりしますが、それにももちろん限界があります。テンプレ通りのナオンたちを、正解ルート一直線で秒殺する。それは、作り手にだって叶えられないユメなのです。
最後に、僕は『神のみぞ知るセカイ』が面白かったことが、本当に嬉しいです。漫画家さんは、本当に大変な仕事です。そして、ちょっといいな、と思う部分がどこかにあった作家さんが、ものすごく苦労をして、人生すべてを賭ける勢いで臨んだ作品であることを知れば、自然と応援したくなります。それが人情です。でも、そうやって心機一転始まった連載の多くは打ち切られていきます。それが現実なのです。僕らは期待の新連載に対して、「○○(絵柄・設定・キャラ等)はいいよね」と愛想笑いを浮かべながら、10週突きぬけの可能性を強く感じていたりします。
だからこそ、そうした作家さんの一人が、「おもしれえ!」と思えるものを描いてくれたことが、僕はとても嬉しい。そして同時に、それが一般層に届かず消えてしまったら、と思うとすごく怖いです。だから今回テキストを書きました。ネットで少しでも話題になって、連載が続きますように。若木さんの原稿料が上がりますように。アニメ化とかされちゃって、アイマスの声優さんを使ってくれますように。そんな風に願うのです。
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若木民喜さんと言えば、最近、想像以上のギリギリの生活を漫画家自身が告白したことで大きな話題になった漫画家さんです。連載デビュー作となった『聖結晶アルバトロス』は、少年サンデーの2006年1号から51号まで連載されて、やや打ち切りムードを漂わせながら終了しました。『聖結晶アルバトロス』の印象は、「絵柄や女の子はかわいらしいのに、設定の作りこみが少年誌向けではない。もったいない」という感じでした。
そんな若木民喜さんが満を持して発表した最新作が、『神のみぞ知るセカイ』です。ストーリーは、ギャルゲーをヤりつくした神とも言うべき少年(つまり俺たち)が、現実の少女たちを攻略しなければイケない立場に追い込まれる、というもの。二次元のテクニックで三次元の女の子をオトす……という二次元のコミック。なんだか頭がグラグラするパラドックスですが、この作品ではその違和感をいい意味で昇華していると思います。
その理由のひとつは、若木さんがギャルゲーというものを知り尽くしていること。作中に出てくる「テンプレート通りの少女たち」は、ギャルゲーのテンプレートを一歩も外していません。まったくぶれていません。これは、通常なら悪口になります。しかし、「テンプレート通りのキャラクターを意識的に作る」には、そのテンプレート、すなわちジャンルにおける造詣の基本をすべて身につけていなければなりません。そんなことは、神様にだってできません。
ではなぜ、若木さんにはそれができたのでしょうか。それは、若木さんがギャルゲーの神レベルのプレイヤーである、というのが一段目。二段目は、『神のみぞ知るセカイ』がプレイヤー視点で作られた作品であることです。キャラクターのツボや、動き方に対する判断が、「ギャルゲー・エロゲープレイヤーの目線での」判断なんですね。僕らは、人間の心や、性格や、個性を完全に把握することはできません。しかし、「ゲームをプレイしている自分の心」に関しては、誰よりもリアルに知っているのです。だからこそ、若木さんがありきたりなギャルゲープレイヤーであればあるほど、その判断は、僕らありきたりなギャルゲープレイヤーに「グッと来る」のです。だから、『神のみぞ知るセカイ』は、その価値観を共有できる人にとっては、最高に面白いのです。
●神々が抱えるストレス
めでたしめでたし。……なのですが実は、『神のみぞ知るセカイ』がキモチいい最大の理由は他にあります。こちらの理由は、すれっからしのギャルゲーマーほど強く同意してもらえると思います。それは、
「主人公が常に正解を選ぶこと」
です。主人公は、セーブロードもないクソゲーバランスのゲームに対して、経験に即した判断からTrue ENDまでのルートをまっすぐに立てます。時に失敗はあっても、それはすべてTrue ENDに至るために必要な、最低限のルート回収なのです。
こんな主人公に、憧れたことはありませんか? だって僕たちギャルゲーの神々は、いつだって答を知っているのです。おそらく、このあとはこうなる。おそらく、この女の子はこう押せばオチる。わかっているのに、延々数十分、数時間と日常と非日常を繰り返させられるのです。そうしなければ、ゲームが成立しないからですね。しかし、こうした不合理を、ギャルゲーは総じて「主人公の鈍感さ」で解決してしまいます。わかりきった答が目の前にあるのに、主人公の珍妙な判断と暴走に引きずりまわされる……それは、わかっているプレイヤーにとって耐え難いストレスです。そうした鬱屈した感情を、この作品は一刀両断に解消してくれるのです。これがキモチよくないはずがナイ! 僕は頼まれ仕事でエロゲのシナリオを書くとき、あまりにもお粗末な違和感を感じるポイントに関しては、こっそりと修正したりしますが、それにももちろん限界があります。テンプレ通りのナオンたちを、正解ルート一直線で秒殺する。それは、作り手にだって叶えられないユメなのです。
最後に、僕は『神のみぞ知るセカイ』が面白かったことが、本当に嬉しいです。漫画家さんは、本当に大変な仕事です。そして、ちょっといいな、と思う部分がどこかにあった作家さんが、ものすごく苦労をして、人生すべてを賭ける勢いで臨んだ作品であることを知れば、自然と応援したくなります。それが人情です。でも、そうやって心機一転始まった連載の多くは打ち切られていきます。それが現実なのです。僕らは期待の新連載に対して、「○○(絵柄・設定・キャラ等)はいいよね」と愛想笑いを浮かべながら、10週突きぬけの可能性を強く感じていたりします。
だからこそ、そうした作家さんの一人が、「おもしれえ!」と思えるものを描いてくれたことが、僕はとても嬉しい。そして同時に、それが一般層に届かず消えてしまったら、と思うとすごく怖いです。だから今回テキストを書きました。ネットで少しでも話題になって、連載が続きますように。若木さんの原稿料が上がりますように。アニメ化とかされちゃって、アイマスの声優さんを使ってくれますように。そんな風に願うのです。
今日街中を歩いていると、とある高級中華料理店で「平野○○○○会」といった予約が入っていました。一瞬だったので詳しくは見えなかったのですが、「平野綾を大いに盛り上げる業界關係者の団」略してHOG団のような秘密結社が存在しているのでしょうか。イルミナティに集う覆面の紳士たちが、ろうそくの灯りでヤングアニマルの品評会とかやってると素敵ですよね。このまま数年後は平野綾さんが天下をとっているのか、それともまだ見ぬ誰かがこれから出てくるのか。なんとなく、3年後の女性声優界はどうなっているのかを妄想してみました。役者というより、歌手・アイドル声優としての人気に軸足を置いた妄想です。
●御三家の3年後
現在の女性声優界の人気の3トップが、堀江由衣さん、田村ゆかりさん、水樹奈々さんの3人であることには異論が少ないと思います。4人目を挙げようとすると大抵ののしりあいが始まりますが。このうち、水樹奈々さんに関しては2、3年後も変わらずトップに君臨していることと思います。やはり御三家の中では若干年齢が下で、ファン層も若いのがその要因です。田村ゆかりさんに関しては高い演技力に加え、トーク力がズバ抜けているので、こちらも安泰かな、と。既存のタイプとしては、林原めぐみさんのように、確かな人気を保ったままラジオと固定ファン層をターゲットにしたCDで存在感を発揮していくと思います。動向がちょっと読めないのが堀江さん。「アイドル声優」を具現化したような存在であるだけに、どこかの時点でシフトチェンジするのかに注目が集まります。もっとも、5年たっても10年たっても変わらずにキラキラしているような気がしなくもありません。
●ハルヒ世代の3年後
御三家の後に続く、若手世代の最右翼が平野綾さんなのは間違いないと思います。ただ、平野さん陣営の視線はオタク以外にも向いているようなので、グラビア露出やパンクロックテイストの強い音楽性が継続的な支持を得られるかが勝負だと思います。勝負どころのハルヒ2期が、アルバムやライブツアーと相乗効果をえられるタイミングにあうかどうかが大きな分岐点になりそうです。茅原さんは2008年~2009年のシーズンでどれだけ固定層が掴めるか。しかしいわゆる「アイドル声優」よりは歌唱力を前面に出したアーティスト路線なので、年齢の制約を受けにくいようにも思います。ただ、最近はアーティスト色を出しすぎな気もするので、「すげー歌うまい」と「残念な子」のバランスをとった舵取りが必要そうです。邑子姐さんは3年後もなんも変わってなさそうです。
平野綾さんと同世代のライバルたちですが、今年存在感を出してきたのが戸松遥さんと中島愛さん。出演数なら戸松さんですが、中島さんもマクロスFという看板作の効果は大きいと思います。個人的には、明坂聡美さんは素材的には平野さんのライバルたりえる逸材だと思うので、新でじこ組の躍進にも期待ですね。
あとは、堀江由衣、田村ゆかりを生み出したアーツ・アイム系にもやはり注目です。アイドル声優をスターダムへと上げるノウハウと繋がりがあるってことですからね。アーツ・アイム系でプッシュを受ける可能性があるのは、藤田咲さん、下田麻美さん、滝田樹里さん、狩野茉莉さんなどが思い浮かびます。個人的には、「elements(下田さんと狩野さんのユニット)は次世代のやまなこになる」かもしれないと主張してるのですが、どうなることでしょうか。
トータルすると、御三家を中心としたトップ世代は、2年、3年のスパンでは案外変わらないのではないかと思います。坂本真綾さんも、活動のサイクルが長いだけにまったく問題ないと思います。で、若い世代の中で活発な新陳代謝が行われるようになるんじゃないかと。トーク・ブログのテキスト・かわいさ・声優としてのスキル・歌などを総合すると、案外下田麻美さんが数年以内に大本命に浮上しそうな気もするんですが、これはアイマスファンとしての贔屓のしすぎでしょうか(笑)。
●御三家の3年後
現在の女性声優界の人気の3トップが、堀江由衣さん、田村ゆかりさん、水樹奈々さんの3人であることには異論が少ないと思います。4人目を挙げようとすると大抵ののしりあいが始まりますが。このうち、水樹奈々さんに関しては2、3年後も変わらずトップに君臨していることと思います。やはり御三家の中では若干年齢が下で、ファン層も若いのがその要因です。田村ゆかりさんに関しては高い演技力に加え、トーク力がズバ抜けているので、こちらも安泰かな、と。既存のタイプとしては、林原めぐみさんのように、確かな人気を保ったままラジオと固定ファン層をターゲットにしたCDで存在感を発揮していくと思います。動向がちょっと読めないのが堀江さん。「アイドル声優」を具現化したような存在であるだけに、どこかの時点でシフトチェンジするのかに注目が集まります。もっとも、5年たっても10年たっても変わらずにキラキラしているような気がしなくもありません。
●ハルヒ世代の3年後
御三家の後に続く、若手世代の最右翼が平野綾さんなのは間違いないと思います。ただ、平野さん陣営の視線はオタク以外にも向いているようなので、グラビア露出やパンクロックテイストの強い音楽性が継続的な支持を得られるかが勝負だと思います。勝負どころのハルヒ2期が、アルバムやライブツアーと相乗効果をえられるタイミングにあうかどうかが大きな分岐点になりそうです。茅原さんは2008年~2009年のシーズンでどれだけ固定層が掴めるか。しかしいわゆる「アイドル声優」よりは歌唱力を前面に出したアーティスト路線なので、年齢の制約を受けにくいようにも思います。ただ、最近はアーティスト色を出しすぎな気もするので、「すげー歌うまい」と「残念な子」のバランスをとった舵取りが必要そうです。邑子姐さんは3年後もなんも変わってなさそうです。
平野綾さんと同世代のライバルたちですが、今年存在感を出してきたのが戸松遥さんと中島愛さん。出演数なら戸松さんですが、中島さんもマクロスFという看板作の効果は大きいと思います。個人的には、明坂聡美さんは素材的には平野さんのライバルたりえる逸材だと思うので、新でじこ組の躍進にも期待ですね。
あとは、堀江由衣、田村ゆかりを生み出したアーツ・アイム系にもやはり注目です。アイドル声優をスターダムへと上げるノウハウと繋がりがあるってことですからね。アーツ・アイム系でプッシュを受ける可能性があるのは、藤田咲さん、下田麻美さん、滝田樹里さん、狩野茉莉さんなどが思い浮かびます。個人的には、「elements(下田さんと狩野さんのユニット)は次世代のやまなこになる」かもしれないと主張してるのですが、どうなることでしょうか。
トータルすると、御三家を中心としたトップ世代は、2年、3年のスパンでは案外変わらないのではないかと思います。坂本真綾さんも、活動のサイクルが長いだけにまったく問題ないと思います。で、若い世代の中で活発な新陳代謝が行われるようになるんじゃないかと。トーク・ブログのテキスト・かわいさ・声優としてのスキル・歌などを総合すると、案外下田麻美さんが数年以内に大本命に浮上しそうな気もするんですが、これはアイマスファンとしての贔屓のしすぎでしょうか(笑)。
最近個人ニュースサイト界隈で大きなインパクトがあった出来事のひとつに、『ペンギン娘はぁと』で個人サイトがプレスとして招待されるという出来事がありました。以前より、ブロガー枠での、レポート掲載を前提とした招待という話はありましたが、プレスとしての招待、撮影フリー、事前チェックなしでの掲載許可、といったところにまで踏み込んだのは驚きでした。なんせ、アニメ誌や報道媒体による取材より大幅に条件を緩和した特例処置ですから。
このような「個人サイトの厚遇」という現象は、ニコニコアニメチャンネルがweb上の新媒体であることと無縁ではありません。アニメやゲームには、その特性や格、ターゲットをどこに置くかに合わせた、適正な広報・宣伝媒体というものがあります。紙媒体の場合、基本的に発行部数が大きい雑誌ほど発言力が大きく、影響力も大きいため、メーカーとしても広告出稿や第一報の提供などで、その媒体を厚遇する傾向があります。そのため、発行部数の多い専門誌には、注目作の特集などが早い時点で掲載され、より栄えるわけです。とはいえ、トップランナー以外のメーカー・メディアもおまんまを食べる必要があります。そこで自然に、ゆるやかではありますが、住み分けができるんですね。ちょっとニッチな作品を扱う媒体にニッチなメーカーが協力し、ニッチなユーザーが買っていくという市場が出来上がるわけです。
Web媒体の場合はちょっと話が違っていて、PV数=影響力なのは変わりませんが、PV数がでかいからといって、厚遇されるとは限りません。雑誌ほどシステムが確立していないため、広告や情報を取れるかは、営業や編集個人の力量に依存する部分が大きくなります。PV数はいいのに、営業力がないため数字を出せない、てこともあるんですね。Webは無料のメディアなので、広告バナーを取ってきて、それをユーザーに踏んでもらわなければ、PV数がいくらあってもお金が発生しないんです。
さてさて、話を戻しましょう。そうやってメーカーと媒体の持ちつ持たれつの関係で、媒体の色分けができると、ちょっと困る人々がいます。そう、新規参入の人々です。特に『ペンギン娘』の場合は、web配信で、しかも放送媒体のニコニコアニメチャンネルもこれが船出と言う初めて尽くし。既存のアニメ誌等に大きな扱いを期待するには難しいですし、そもそもペーパーメディアやテレビ局に頼らずともweb上で完結できるのがこの作品の強みのはず。Web上での注目度を上げ、アクセス数を稼ぎたい、既存のメディアに頼らずに…と考えていくと、個人サイトがクローズアップされるのは、ある意味必然だったのです。
今後個人サイトが影響力を増していくかには、まだ疑問が残ります。それは信頼度の問題があるからです。商業メディアでは、プロのライターがテキストを書き、編集がチェックし、事務所やメーカーがチェックし、アップされる内容を、媒体を発行する企業が保障するという形式をとっています。チェックシステムと、責任の所在が明確なんですね。今回は個人ブロガーさんたちの「個人ブログ代表としてプレス参加する」という高い意識に支えられてうまくいきました。しかしそのうち、なにかやらかした人が出てきた場合に、どうなるかです。Web上での肩書き以外、必ずしも素性が定かでない人がタレントさんの周りを出入りして、写真を撮っていくというのは、結構怖いことです。
今後、個人サイトの取材参加というものの落としどころがどのへんになるかは分かりませんが、その基盤が今作られていることは間違いありません。取材にきませんか、というオファーが来た人は、自分が個人サイトというものの代表として見られていることを認識して、意識を高く持ってもらえるといいな、そして結果として、もう少し広く開かれた環境ができると楽しくなるな、と思います。やはり、商業の枠を離れないと書けない、個人の色や思い入れを反映したテキストというものもあるはずですから。
このような「個人サイトの厚遇」という現象は、ニコニコアニメチャンネルがweb上の新媒体であることと無縁ではありません。アニメやゲームには、その特性や格、ターゲットをどこに置くかに合わせた、適正な広報・宣伝媒体というものがあります。紙媒体の場合、基本的に発行部数が大きい雑誌ほど発言力が大きく、影響力も大きいため、メーカーとしても広告出稿や第一報の提供などで、その媒体を厚遇する傾向があります。そのため、発行部数の多い専門誌には、注目作の特集などが早い時点で掲載され、より栄えるわけです。とはいえ、トップランナー以外のメーカー・メディアもおまんまを食べる必要があります。そこで自然に、ゆるやかではありますが、住み分けができるんですね。ちょっとニッチな作品を扱う媒体にニッチなメーカーが協力し、ニッチなユーザーが買っていくという市場が出来上がるわけです。
Web媒体の場合はちょっと話が違っていて、PV数=影響力なのは変わりませんが、PV数がでかいからといって、厚遇されるとは限りません。雑誌ほどシステムが確立していないため、広告や情報を取れるかは、営業や編集個人の力量に依存する部分が大きくなります。PV数はいいのに、営業力がないため数字を出せない、てこともあるんですね。Webは無料のメディアなので、広告バナーを取ってきて、それをユーザーに踏んでもらわなければ、PV数がいくらあってもお金が発生しないんです。
さてさて、話を戻しましょう。そうやってメーカーと媒体の持ちつ持たれつの関係で、媒体の色分けができると、ちょっと困る人々がいます。そう、新規参入の人々です。特に『ペンギン娘』の場合は、web配信で、しかも放送媒体のニコニコアニメチャンネルもこれが船出と言う初めて尽くし。既存のアニメ誌等に大きな扱いを期待するには難しいですし、そもそもペーパーメディアやテレビ局に頼らずともweb上で完結できるのがこの作品の強みのはず。Web上での注目度を上げ、アクセス数を稼ぎたい、既存のメディアに頼らずに…と考えていくと、個人サイトがクローズアップされるのは、ある意味必然だったのです。
今後個人サイトが影響力を増していくかには、まだ疑問が残ります。それは信頼度の問題があるからです。商業メディアでは、プロのライターがテキストを書き、編集がチェックし、事務所やメーカーがチェックし、アップされる内容を、媒体を発行する企業が保障するという形式をとっています。チェックシステムと、責任の所在が明確なんですね。今回は個人ブロガーさんたちの「個人ブログ代表としてプレス参加する」という高い意識に支えられてうまくいきました。しかしそのうち、なにかやらかした人が出てきた場合に、どうなるかです。Web上での肩書き以外、必ずしも素性が定かでない人がタレントさんの周りを出入りして、写真を撮っていくというのは、結構怖いことです。
今後、個人サイトの取材参加というものの落としどころがどのへんになるかは分かりませんが、その基盤が今作られていることは間違いありません。取材にきませんか、というオファーが来た人は、自分が個人サイトというものの代表として見られていることを認識して、意識を高く持ってもらえるといいな、そして結果として、もう少し広く開かれた環境ができると楽しくなるな、と思います。やはり、商業の枠を離れないと書けない、個人の色や思い入れを反映したテキストというものもあるはずですから。