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2025/03/03 14:20 |
非匿名の息苦しさと、議論の生産性
 「肩書のない実名に意味はない」論というエントリーを読みました。実名と匿名の切り分け以外に、“発言における自己同一性の有無”が重要だ、というくだりがすとんと落ちてきたので、コメントしておきたいと思います。

 この、「同一性の有無」の話を見てすぐに連想したのが、インターネットが普及する以前、90年代半ばまで隆盛を誇ったパソコン通信の存在です。僕は当時「ニフティサーブ」に参加していたのですが、この頃のネットと、ネットでの議論を取り巻く状況は、まさに「半匿名ではあるが、発言の自己同一性を確保した社会」だったのではないかと思います。当時のニフティサーブでは、会員IDが発行されており、それがアクセスポイントへの認証、メールアドレス、掲示板の書き込みのヘッダと、すべてにおいて重要な役割を果たしていました。これは、当時のニフティが独占的なプロバイダーであり、コミュニティの提供者でもあるからこそできたことです(当時、大手のパソコン通信といえばニフティかPC-VANでした)。そして、大きな要素として、ニフティは会議室のログを全て保存していたのです。

 僕ら参加者はハンドルネームを用いてはいましたが、IDによって過去の発言のほとんどを捕捉されうる状況にあったんですね。結果、当時のニフティサーブは、今よりはるかに面倒くさく、そして豊潤な議論ができる環境にありました。面倒くささに関しては、まず会議室参加のハードル自体が高く設定されていました。元々、ネットが一般に普及する前のパソコン通信は、技術者やその分野に精通している参加者が多かったため、その分野に対する知識と、会議室の空気を読むスキルが参加者に求められていました。今でも「半年ROMってろ」という煽り文句が残っていますが、当時は真顔でそれを言う人も多かったのです。なにせ、当時は超低速回線で、接続に1分8円とか20円とかが電話代以外にかかっていた時代。ほとんどの人は、巡回ソフトで発言を落として周ってから回線を切り、レスを書き上げて推敲してからアップしていたのです。「書く」ことはもちろん「読む」ことにもコストがかかっていたわけですから、「教えて君」は許される存在ではなかったのです。「ググる」ことはできない時代ですから、半年ROMって経験で学べ、というわけです。

 そして、当時の議論の仕方は、今よりもずっと緻密で陰湿でした(笑)。それこそが、当時のパソコン通信の“めんどくささ”であると同時に利点でもあったのです。IDが特定されていて、ログがすべて保存されているということは、過去の自分の書き込みを全て特定されうるということです。

……とのことですが、飛影星人さんは○○月××日のxxxxxxxの書き込みで、
>>
>>
と仰っていますが、これは先ほどの書き込みと矛盾しませんか。

 のような感じで、数か月前、場合によってはもっと前の発言を引用する形でツッコミを受けることが多々あったわけです。必然、特定のIDの持ち主は、自身の発言の内容と一貫性を保つ必要があり、発言には責任が発生していたのです。インターネットが普及した2000年以後にネットを始めた人と議論をしていてストレスを感じることが多かったのは、この「一連の流れを踏まえた議論」ができない人が意外と多い(多かった)ことです。ネット上での議論になれていない人は、直前のレスに対して直感と感情で反射的にレスをすることが多く、ひどい人になると「こちらが言っていることに無意識に感化されて、同じことを言い始めているのに、本人は議論を続けているつもりだから、落としどころが消失してしまう」といった事態になります。

 以前、僕のブログのエントリーに関して「内容がおかしいので反論する」とリンクを張ってくださったサイトがあって、手ぐすねを引いて内容を読んだところ、数週間前に僕が書いた別エントリーをほぼそのまま引き写した内容で、非常に困惑した覚えがあります。ひょっとしたら高度な皮肉を込めた悪戯なのかな……と思いましたが、無意識でやっている人の場合、関わると非常にめんどくさいことになるのは経験上明らかだったので、すごい勢いでスルーしたのを憶えています。

 発言元が特定されない匿名のやりとりには、「責任」が発生しません。煽り返してすっきりしたら、翌日から別人になれる環境では、痛い目にあって議論や会話の技術を学ぶ場が存在しないのです。その点、継続的に更新されるブログや個人ニュースサイトというのは、作り手の顔がぼんやりとですが見えるのが、個人的には非常に快適です。もっとも、その分愚にもつかないことばかり書いていては、誰にも相手にされなくなってしまうという意味では、おそろしくもあるのですが。うちのような零細サイトの場合、アクセス数=個人ニュースサイトからの被捕捉数のような部分があるので、アクセス数の増減=読み手の反応ではないのが、ちょっと悩ましいところです。「この記事、アクセス数はよかったけど、読み手はみんなくだらねーと思ってたらどうしよう」的な不安は常時抱えているのですが、それぐらいの負荷はあった方が、テキストを書く上ではよいのかもしれません。
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2008/04/22 07:11 | Comments(1) | TrackBack() | ライター・テキスト
らめぇっとまらない、とまらないの!!
 一度出始めて勢いがつくと、幾ら止めようと思っても止まらないものです。半泣きになったところで、「おいおい、こんなに濡れてるじゃねーか」という状況ではどうにもなりません。

 遡ること3時間。仕事前にひとっ風呂、ついでにコインランドリーで溜まっていた洗濯物を回して、さっぱりして鼻歌交じりに帰ってくるとですね。なんか家の裏から「ドヴァー」って感じの音がするんですよ。正確には玄関に入る時点で聞こえていたんですが、その時点では、裏の女子高で水撒きでもしてるのかと思ってたんです。ところが、幾らなんでも長すぎる、そして近すぎる。

 おそるおそる見てみると……



 らめぇ。

 給湯器が地面に落下して、給水パイプが根元からぽっきり。倒れた給湯器に水ぶっかけ祭開催中の大惨事。給湯器はかなり重いので、自重か、はたまた近所の野良猫の仕業か……いずれにしても、駄目だこいつ、早く何とかしないと状態です。何を思ったのか配管を押さえてぷしー! とかなってみたり。もちろん止まらないです。わわわわ。こういう追い詰められた時、思い知るのが“広告”のおそろしさです。『ガンバ! Fly high』を愛読していた僕の脳裏に、咄嗟に流れてきたのは「くらーしあんしんクラーシアン♪」という森末慎二の緊張感のない歌声でした。即座に連絡すると、「今作業員が出払っているので、しばらくかかります」とのこと。神よ!

 ただ、クラシアンの電話のお姉さん(略称・クラシアン)がその時、気になる一言を漏らしたのです。「支払いはその場で現金でお願いします」。……ん? ちょっと待てクラシアン。僕の現状を思い出せ。確か先日、めまいがするような額の住民税の請求が来たんじゃなかったか? で、ぶ、分納の相談してみよう、とか思ってなかったか? 仕事先が変わった関係で、来月末ぐらいまで、僕はかなーり貧乏さんなんですよ。今まとまった金額が出て行くと、資金繰りがショートすることは目に見えています。そして……ことここにいたって思い出すのが「確かクラシアンってかなりボラれるよなぁ……」ということ。配管の根元からやられてたりすると、どれぐらい持ってかれるんだ……?

 しばらく算盤をはじいた結果、結論は、無理! 払えないならしょうがない。ごねましょう。元栓を締めるのが先かなぁ……と思いましたが、現状がどれぐらい悲惨かを見てもらったほうがよさげだったので、とりあえず管理会社の不動産会社にカムヒアーの連絡。「こりゃ大変だねぇ…」と言葉を失う不動産会社さんと世間話をしながら、

「うちに帰ってきたらこうなってたんですよ」
「立て付けが悪くなってたんですかね」
「この給湯器、ものすごく重いですから、ねじ止めがガタ来てたのかもしれませんね」
「この辺野良が多いから足場にでもされたかな」
「とにかく困ってんですよ」

 と、とにかく「俺には責任ねーからな!」ということを全力で主張しました。で、修理と支払いはお願いできますか、ということを伝えると、

「修理終わったら、請求書は大家さんに回しておきますので」とのこと。……我が家の平和は保たれた! 地元の馴染みの水道業者を紹介してもらって、クラシアンには見積もり前にお断りの電話をしました。元栓締めて水道業者のおっちゃんに応急処置をしてもらって、今日のところは作業完了。明日には本格的に直してもらえるそうです。

 今回の件で一番驚いたのは、軽くパニックになった時に、真っ先に出てきた自然な反応が「クラシアンに助けてもらわなきゃ」だったということです。それだけ、繰り返し刷り込まれたCMの効果ってのは大きく、多少コストが高くても「緊急事態」に24時間即応してくれる業者の需要は無くならないのでしょうね。皆さんも、家に帰ったら裏の給湯器が水を噴出していた時は、クラシアンを呼ぶ前にちょっと落ち着きましょう。…でも、家の外で、本当によかった。家の中で水道管破裂とかだと、こんなパニックじゃ済まなかったでしょう。

2008/04/14 19:13 | Comments(0) | TrackBack() | そのほか。
「ai sp@ce」がセカンドライフの失敗から学んだもの
 先日「ai sp@ce」の発表会が秋葉原で行われ、いよいよ夏始動に向けての準備がスタート。方々で話題になっているようです。「ai sp@ce」って何? という方も多いと思いますので、公式サイトから引用すると、“「ai sp@ce(アイスペース)」とは、人気美少女コンテンツ「CLANNAD」「SHUFFLE!」「D.C.Ⅱ ~ダ・カーポⅡ~」の各世界・キャラクターを、ハイクオリティな3Dでオンライン上に再現した、まったく新しいコミュニケーションサービスです”とのこと。この説明でも、しっくりは来ませんね。それ以外に現状明らかになっている情報としては、まずサイトのページ名に入っている「3D生活空間サービス」という言葉。ここから連想されるのは、やはり“萌え版セカンドライフ”ですね。「ai sp@ce」の世界内には各作品の「島」が存在し、その中央に交流の場、“アキハバラ島”が存在するようです。

 僕は一応、「日本で一番最初に“2008年はai sp@ce来るんじゃね?”と口走った人間」と自称しておりまして。年末年始のニュースサイト系、アイマス系などの飲み会では「2008年はai sp@ce要注目ですよ!」と言っては「…はぁ。なんすかそれ」という熱い反応を頂いたものです。いよいよ詳細が発表されたわけですが、現時点でも、個人的にはある程度の成算があるのではないかな、と思います。今回は、その理由について幾つか書いてみたいと思います。

●日本市場における、メタバース企画の弱点
 目新しい言説ではありませんが、黒船として鳴り物入りで登場し、電通が全面的にバックアップした「セカンドライフ」は、国内では既に“失敗”の烙印を押されつつあります。後発の幾つかのメタバース(仮想世界を構築し、その中で分身のアバターとして生活する)も、華々しい成功をおさめたという話は聞きません。メタバースが国内では受けなかった失敗の要因を考えると、大きく4つが挙げられると思います。

・“都市”“国家”の再現を狙ったための、フィールドの拡散
・分身であるアバターデザインの失敗
・ゲーム性が無い
・要求するマシンスペックの高さ

○広大←世界→限定
 説明が必要なのは、まずひとつめのフィールドの拡散についてでしょうか。メタバースはいずれも、「広告の場」としての活用を狙った結果、スポンサー企業の誘致に熱心でした。しかし、“人と人との交流”といった目に見えない要素はなかなかアピールできませんし、そもそも、オープンして多数の顧客を招き入れなければ、交流が活発化することはありません。そこで、多くのメタバースはネットワーク上に現実の似姿としての「もうひとつの世界」を構築しようとしてしまったのです。その都市の“入れ物”が、ネットに疎い世代の偉いひとたちに「これはすごい」と思わせたのは想像に固くありません。

 しかし、世界の再現は、すぐに簡単な壁に突き当たります。「現実の世界には60億の人類が住むが、メタバースの世界にいるのはいいとこ数万人」という事実です。以前、とあるガンダム系のゲームでも、「広大なフィールドを行けども行けども誰にも会わない」なんて話がありました。そう、限られたユーザー層に対して、世界は広すぎるのです。ですから、時折イベント的な告知のあるエリアが一時的に盛況になっても、すぐに人はいなくなり、あとには広告がベタベタと貼り付けられたゴーストタウンが残る……という状況が、そこかしこで繰り広げられたのです。「人と人との交流」という本質を飛ばして、外側の「箱」に注力してしまったが故の悲劇といえるでしょう。

○アメ公のセンスにはついていけない
 次に、アバターデザインです。セカンドライフのアバターは、自分で自在にカスタマイズができる、よほど異常な技術力を持った人を除いては、デザイン的に日本人の好みに合ったものとは言えませんでした。もう少し萌える外見が選択できれば参加してもいいのに、と思った人は多いのではないでしょうか。もちろん、萌えキャラを使用すれば支持されるのか、と言えば、答えはNOです。世間全般でいえば、「なにこのオタクっぽいの、気持ち悪い!」と思う人の方が多いでしょう。では、萌えっぽい要素を排除して、なるべく特徴の無いアバターを用意すればどうなるでしょうか。答は、「誰に対してもヒットしない」でしょう。

 要は、どこをターゲットに引き金を引くか、なのです。一般人をターゲット層に広く取るなら、彼らを引き込むだけのより強力で、普遍的な引きが必要です。「セカンドライフ」はそれを用意することができなかったんですね。その点、「ai sp@ce」は明確です。それはオタクの、オタクによる、オタクのための仮想空間。現状、メインのフィールドをアキハバラ島に限定していますから、少なくともある程度の交流は期待できますし、集まる人々は「こういうのが好き」という共通の因子を持っています。また、フィールドの「アキハバラ」というチョイスも悪くないでしょう。現実の世界でありながら、虚構めいたファンタジーであふれている街……という意味では、秋葉原は世界でも三指に入ると思います。あとはどこだろう。前世紀の九龍城地区とかですか。

 ともあれここまでは、既存のメタバースの失敗から、学んだ部分だと思います。版権キャラクターで押す以上、「キャラクターの多様性の確保」という大問題はあるものの、ここから先はもう少し実際の仕様を見ないことにはなんとも言えません。

○「ゲームじゃないから」は免罪符ではない
 問題は、「ゲーム性のなさ」と「マシンスペック」です。メタバースと呼ばれるものはゲームではないので、本来ゲーム性は必要ありません。しかし、ではなぜユーザーがゲーム性のなさを指弾するのかといえば、ずばり面白くないからです。メタバースの運営側は「うちはゲームではないので」と胸を張るかもしれませんが、それなら本来、それに代わる楽しさをシステムとして提供しなければならないのです。

 ゲーム性に代わる楽しさって、なんでしょう。それは前述しましたが、「交流の楽しさ」に他なりません。この交流の楽しさを考える上で、思い出すのがMMORPG『マビノギ』です。「本当の居場所を見つけた」というキャッチフレーズで、秋葉原駅前で大キャンペーンを繰り広げた『マビノギ』。今でもオタク好きのするキャラクターデザインと、アクション要素の強い戦闘や、ストーリー性の高さで人気の作品です。しかし、僕が一番このゲームが楽しかったのは、実はβテストの初期も初期でした。当時、世界には町は「ティルコネイル」という田舎町しかなく(すぐにダンバートンは開通しました)、参加者たちはその町の広場にぎっしり集まって、焚き火を囲んで雑談に興じたり、アルバイトをしたり、音楽家が奏でる調べに耳を傾けたりしていました。そこには高度なゲーム性やストーリーは皆無でしたが、キャラクターで焚き火を囲んでくだらない話をしていること自体が楽しかったものです。もちろん、ちょっとアキバっぽい匂いのゲームをプレイしている同士、という条件が会話のハードルを下げていたのは想像に難くありません。

 そう、こと交流において、一般人が「オタクっぽくってアレはちょっと…」と感じて顧客層が限定されるというのは、実はマイナスどころか、プラスの要素なんです。だってオタク同士でオタク話するのって、すごく楽しいじゃないですか。十分な母集団が確保できる限り、参加者の均質性はある程度保たれているほうが交流はしやすいのです。

○マシンスペックは……
 泣き所といえば、このマシンスペックの問題です。メタバースが根付かない理由のひとつに、「日本人の所有PCの平均スペックは、想像以上に低い」というものがあります。旧式のノートしか所有していない多くの一般人にとって、ハイエンドな性能を要求するメタバースはそもそも選択肢の外なんですね。この弱みからは、「ai sp@ce」も逃がれられません。冬コミで公開されたムービーに近いクオリティで、数十体のキャラクターを街中で描画し、動かすとなると、要求されるマシンスペックはかなり高いものになるはずです。
 ですがこれに関しても、プラスの要素はあります。PCの平均スペックが分不相応に高い母集団として、「オンラインゲーマー」と「美少女ゲーマー」はかなり上位に属するはずです。その意味でも、版権美少女ゲームを囲い込んだ戦略は慧眼といえるかもしれません。

        +        +        +

 つらつらと書きましたが、上記のような理由で、「ai sp@ce」はニッチな市場を打ち抜く可能性はある(少なくとも過去のメタバースの反省点を踏まえている)と言えると、僕は考えています。もちろん、これは実際に提供されるサービスの質次第であることは、言うまでもありません。最後に、「ai sp@ce」の成功にかかわるであろう、今後の注目ポイントを幾つか挙げておきます。

・キャラクターの多様性(魅力的なキャラクターが存在するとしても、みんな同じ版権キャラ顔だったり、自キャラは平凡では台無しです)
・拡張性の有無(アキハバラ島を中心とした独立した島構造をとるのなら、他作品の参戦の可能性も……?)
・アダルト要素を許容するのか(メタバースでは常にセックス・ギャンブルは基幹産業です)
・要求するマシンスペック(高いのは確定として、ものには限度があります)
・課金モデル(現実的なのはアイテム課金でしょうが…。)
・ニコニコとの連動にメリットを出せるか(あんまり思いつきません。特にニコニコ→アイスペ、のフィードバックがないと双方向とは言えません。世界内の映画館で試写会とか?)

 こんなところでしょうか。

 まだ海のものとも山のものとも知れませんから、成否については明言できるはずもありません。「ai sp@ce」は秋葉系メタバースとしての地位を確立するかもしれませんし、ときメモオンラインの出来損ないに終わる可能性もあるのです。しかし、とりあえず「注目」はしておいてもいいコンテンツなのではないかな、と思います。

2008/04/10 22:23 | Comments(2) | TrackBack() | 雑記(ゲーム系)

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