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2026/01/21 15:44 |
私家版・アニラジ史考察(3)(1990年代末~)
私家版・アニラジ史考察(1)(1980年代)
私家版・アニラジ史考察(2)(1990年代前中期)の続きです。

 前項で男女掛け合い型の基礎を築いたと書いた岩田・石田・宮村・三重野の4人ですが、石田さんがへたれキャラから美形担当への転進、宮村さんがアクション方面へ、三重野さんが企画・構成・出演を一人でこなす最強のアニラジ職人に育つなど、進路はそれぞれ。でも当時と立ち位置・スタイルが全く変わってない岩田さんはちょっと素敵というか、すげーなぁとも思います。

●やまとなでしこ時代(1990年代末~)
 1997年頃、ひとつのラジオが始まります。「私たち、翔びます!」それが後に一世を風靡した、あの田村ゆかりさんと濱百合亜さんによる番組でした。あれ? そう、11期生で最初にプッシュされたのは、田村さんと堀江由衣さんではなく、濱百合亜さんだったんですね。東海ラジオなのであまりちゃんと聞いてないんですが、「わたし、田村ゆかり。日ナレの優等生です、えっへん!」「私、濱百合亜、日ナレの落ちこぼれ。うふ」「うっそー!!」「でも、株式会社日本ナレーション演技研究所から、私たち、翔びました!」という有名なCMは印象に残ってます。CMの文面を見ればわかる通り、スポンサーは日本ナレーション演技研究所+ユーメックス。その後アーツ・アイムの若手売り出し番組の定番になる「VOICE CREW」の前身となる番組と言ってもいいかもしれないですね。田村ゆかりさんによる詩の朗読コーナーとか、今なら恥ずかしがって絶対にやってくれないと思われます。

 この時代はそれほど注目されていなかった田村ゆかりさんですが、表舞台に躍り出たのが、1998年の『SOMETHING DREAMS マルチメディアカウントダウン』です。冨永みーなさんと椎名へきるさんがパーソナリティを務めていた人気番組に、椎名さんにかわって加入したのが、田村ゆかりさん、堀江由衣さんのやまとなでしこの2人でした。2人は番組内の「ドリカンクラブ」のメンバーで、当時のドリカンクラブには生天目仁美さんや浅川悠さんも含まれていました。2002年に2人ラジオになっていたドリカンが終了。その後2002年10月から「堀江由衣の天使のたまご」スタート、2003年4月に「田村ゆかりのいたずら黒うさぎ」が始まってからの2人の活躍は、周知の通りです。トップクラスの人気声優がやってるラジオって意味では前世代と一緒なんですが、林原さんや國府田さんが「ラジオパーソナリティ」だったのに対して、この世代は声優・歌手としての自分をそのまま出すというか、ある意味ゆるい、ちょいと隙のある感じが空気の違いかな、と。「リスナーとお姉さん的存在」みたいな、AMラジオ特有の空気が脱臭された時代な気がします。

●webラジオ黎明期(200?~2004年頃)
 webラジオ黎明期にどのような番組が放送されていたかは、残念ながら僕は詳しくありません。知っている中で最古の現存するwebラジオは2001年スタートの「美佳子@ぱよぱよ」だと思うのですが、より以前の情報をお持ちの方がいれば教えてください。webラジオ時代が本格的に訪れたのは2004年~2005年、音泉とanimate.tvが本格稼動してからだと思います。が、それ以前にいち早くwebラジオで大きな注目を集めたのが、アダルトゲームメーカー・スタジオみりすが2002年から配信開始した“アケミとマリカのがっちゅみりみり放送局”でした。当時、新興メーカーだったスタジオみりす。コミケで、みさくらなんこつさんのイラスト入りの「ファミレスゲー、出る!」という紙袋を配っていた以外一切の情報がなかった会社で、ゲームとしては西崎秒弥さんが手がけた「うさみみデリバリーズ!!」以外はそんなに印象にないです。しかし、webラジオ屋としてのスタジオみりすは非常にクオリティが高く、児玉さとみさん、カンザキカナリさんをメインパーソナリティに、金田まひるさん、長崎みなみさん、草柳順子さん、北都南さん、一色ヒカルさん、榎津まおさん、まきいづみさん、茶谷やすらさんなど、その後のアダルトゲーム界を代表するような面々がゲストとして参加しています。この番組は、「裏系の仕事をやっている声優さんたちも、ごく普通のおもろい姉さんたちである」という当たり前のことを認識させてくれ、その後の表←→裏の垣根を低くした意味で、ラジオ史上、もっと評価されていい番組だったと思います。後期はテコ入れに失敗しまくっていた印象がありますが。がっちゅがなければ、ラジオの芝原のぞみんもきっと存在してないのです。

 表と裏のボーダーという意味では君のぞラジオは避けて通れない存在なのですが、僕にはハードルが高すぎるテーマなので、この辺は偉い人に聞いてください(えー)。(※1月21日更新分でフォロー頂きました。多謝!)
 次で最後になるはず。
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2008/01/21 15:06 | Comments(4) | TrackBack() | 雑記(アニメ系)
私家版・アニラジ史考察(2)(1990年代前中期)
 私家版・アニラジ史考察(1)(1980年代)の続きになります。

 しかし前項を書いていて思ったんですが、アニラジって結構スポンサーが途切れたり、小口で採算が怪しくても続いてたりするんですよね。もちろんハガキがすごく多くて聴取率が高い、愛されている番組に限られるんですが。そういう牧歌的な時代がよかったなと思う反面、今のメールと違って「積み上げられるハガキ」てのは、有形無形のプレッシャーとしてパワーをもってたんだろうな、とも。

●三国時代(1990年代前半)
 90年代に入り、2つの声優界を代表する番組がスタートします。1991年の「林原めぐみのHeartful Station」と、1993年の國府田マリ子さんの「國府田マリ子のGAMEMUSEUM」です。関西人の僕にはこれらの番組がまず最初に来ますが、地方によっては「林原めぐみのTokyo Boogie Night」や「ツインビーPARADISE」の方が印象深い人も多いでしょう。少し興味深いのはスポンサーの変化で、ハートフルは「キングレコード(スターチャイルド)」と「セガ」、ゲームミュージアムは「コナミ」(と上新電機?)がメインスポンサーだったこと。景気がよく、資金力のあるメーカーがゲーム会社にスライドし、レコード会社がアニメと声優のCDを商材として重視しはじめたことがよくわかります。ハートフルにはセガ社員が「セガーズ」として出演したりもしてました。

 この頃のアニラジの特徴は、番組パーソナリティの個性を全面に押し出した、「パーソナリティ対リスナー」という個の関係を結んでいたことだと思います。番組構成上、ハートフルにはハガキ整理として来ていた(!)あみやまさはるさんがなぜかアシスタントになったり、GMはブース外の“サトデュー”とのやり取りがあったりはしましたが、基本的に女性パーソナリティの個性・トークを軸にした番組だったのは間違いありません。番組としての規模・影響力では林原めぐみさんが一歩先んじていた気もしますが、國府田さんが「ツイPARA」で提唱した「Beeメイツはベルを身につけよう」「合言葉はBee!」といった決め事は、当時の声オタの間には相当深く根を張っています。また、「女性声優によるCDリリース」が一気に加速したのがこの頃です。

 さて、三国時代と書いた以上、もう1人加えておきたいのが椎名へきるさんです。彼女の場合始動は1995年の「へきらーず☆radio」そして「SOMETHING DREAMS マルチメディアカウントダウン」だったので数年下がるのですが、ソロパーソナリティの個性の押し出し、そしてラジオパーソナリティとしての人気の獲得→CDリリースでのブレイク、というサイクルは間違いなく上記2人の系譜につながるものだと思うので。「へきら☆」「ウォンチュ~!!」といった挨拶が定番だった椎名さんですが、人気上昇とともに本人のロックシンガー志向が強くなり、FMラジオに媒体を移すや「皆さん今晩和……椎名へきるです」といったしっとりキャラに変身したことについては、未だに多くのファンにへきるショック的なトラウマを残しています。

●電撃時代(1990年代中期)
 さて、上記のような、カリスマ的人気の女性声優単体をフューチャーした番組が人気を博す一方、もうひとつ生まれた流れが、番組名にアニメのタイトルを冠し、ラジオドラマを流すスタイルの番組です。個人的な感覚での走りは1991年の『ラジメーション・魔神英雄伝ワタル3』(田中真弓さん・伊倉一寿さん)でしたが、この時代を象徴するのは岩田光央さん・石田彰さん・宮村優子さん・三重野瞳さんたち。この4人は本当によく出ていて、男性・女性の声優によるかけあいのラジオの基礎を築きました。走りは『レジェンド・オブ・クリスタニア はじまりの冒険者たち』だったと思いますが、この番組では石田彰さんが、歌手の乾和代さんとパーソナリティを務めていました。今では美形キャラとしての人気が不動の石田さんですが、スタート当時は「あんた誰」メールが多数送られ、石田さん自身もかなりのいじられキャラでした(定番役はオカマキャラ)。他には『電撃アワー 極道くん漫遊紀外伝』が石田彰さん・三石琴乃さんがパーソナリティ。あーさんオカマキャラ定着はこっちだったと思います。『ぼくのマリー』や『瞳と光央の爆発ラジオ』など、数え上げればきりがないですが、とにかくこの時代は上記4人の組み合わせが本当に多かったです。

 この時代のアニラジに力を入れていたのが、当時新興勢力だったメディアワークスです。いわゆる「電撃大賞」枠のスタートは1994年の『電撃大賞クリス・クロス』(三石琴乃さん)でしたが、こちらは文化放送ローカルだったので、僕らはCMばかり聞かされて歯噛みしていました。しかし真にこの枠のカラーが決まってきたのは1995年の『電撃大作戦』からで、田中真弓さん、笠原留美さんによる「若いアニラジリスナー向けなんだけど下ネタ全開」という新しいスタイルを提示しました。といっても、リスナー層が変わっただけで、田中真弓さんは大昔から一貫してこういうスタイルなんですが。

 まだまだ続きます。

2008/01/21 12:52 | Comments(1) | TrackBack() | 雑記(アニメ系)
私家版・アニラジ史考察(1)(1980年代)
 アニラジが好きです。ジャンルや媒体が多様化した今、アニラジってなんだろう……という問いに答えるのは難しいです。たとえば一時期関西で多かった「芸人+声優によるラジオ」はアニラジなのか、とかね。基本的に僕は、アニメファンやその周辺ジャンルを対象にしたラジオ、声優さんやアニソンシンガーが中心になって関わっている番組はすべからくアニラジだと考えているので、その前提で読んでください。

 僕は昔からアニラジが好きなので、よく聞きます。最近は、時間を選ばないwebラジオが増えてきたのでありがたい一方、あまりに番組が多すぎて追いきれない……という、夢のような時代が来ています。13年ぐらい前の自分に教えてやりたいですね。当時は週末はラジオ関西(AM神戸)やラジオ大阪といったアニメに強い放送局に張り付きつつ、井上喜久子さんの瑠璃色アクアリウムや久川綾さんのシャイニーナイトを聞くために山陽・山陰などのラジオ局をチューニングしたり。『パラサイトイブ』のラジオドラマに榊原良子さんが出演したときは、琉球放送を聴いたっけ。亡くなった爺さんの家の近くで年越し中、電波状況のいい自家用車の中で「RADIコミ」を聞いてオリオンを見上げたりもしたものです。

 そんな、アニラジを聞く行為が、韓国人やロシア人の発する雑音との戦いだった頃。ラジオ大阪と東海ラジオ、文化放送とKBS京都の周波数が近すぎることにブチ切れた日々は、歴史の中の一コマになりました。現在では多くの放送はwebを通じてチェックができます。これは情報の共有という意味で非常にありがたいことですが、その一方、インターネットが普及する以前、パーソナリティとリスナーがAM電波とハガキだけでつながっていた時代のことは、僕らおっさんの脳みそ以外からは、次第に忘れられつつあります。このまま風化してしまうのもちょっと寂しいので、自分にとっての“アニラジの歴史”を小文として書き留めておきたいと思います。これは、関西で育った一オタクの視点を通しての物なので、他の方からの視点や、その人なりの原点などをコメント、トラバなどでお聞かせ頂けると大変ありがたいです。

●先史時代(1980年代前半)
 元祖アニラジといえば、1979年スタートの『アニメトピア』になるのでしょうか。麻上洋子さん、吉田理保子さん、田中真弓、島津冴子さんといった豪華メンバーによるレジェンド番組ですね。もっとも、内容はいわゆる「アニラジ」からはかけ離れたものだったようですが。その後、『週刊ラジオアニメック』『ラジオアニメディア』『ペアペア・アニメージュ』などの、いわゆるアニメ雑誌主導型の番組がたくさん作られた、そうです。そうです……というのは、1978年生まれの僕が「声優」というものを意識したのは、1989年頃のことだったからです。「『魔神英雄伝ワタル』のヒミコと、『天空戦記シュラト』のレンゲは、どちらもスタッフロールに“林原めぐみ”という名前がある。声優ってなんてすごいんだ!」と思ったのが原体験。小学校四年生か五年生の頃でした。そんなわけで、この時期のことは、「僕のフィルターを通した歴史」では有史以前なのです。1980年代にはアニメ雑誌が主体となった番組が数あり、消えていった……という点のみ押さえておきたいと思います。あ、元祖となった『アニメトピア』も、「マイアニメ」や「ジ・アニメ」とのタイアップを行なっていたようです。

●アニラジ黎明期(1980年代後半)
 アニメブームが落ち着くとともに、アニメ雑誌が主体となったラジオは姿を消しました。しかし、媒体としての力を失いつつあったAM放送局にとって、「アニメファン」という、テレビメディアからはこぼれおちやすい固定客の存在は魅力だったはずです。しかし、かつてのようなアニメ誌主導の番組作りは難しい。そこで活躍したのが、民放AM各局に存在したアニメを愛する局アナ・関係者の皆さんの存在です。初期のアニラジグランプリや当時のアニメ誌などを探してみてください。番組リストの中には他地方の人間からすると「あなたは誰?」という感じの局アナさんと、地元密着型のタレントさん……といった風情の、地元のオピニオンリーダーって感じのローカルアニメ番組がたくさんありました。そうした中、僕の生まれ育った神戸にも一人の巨人がいました。ラジオ関西アナウンサー(当時)・岩崎和夫さん、通称岩ちゃんです。

 1986年4月~1989年3月に放送された「アニメ玉手箱」は、放送開始当時はノンスポンサー(!)で、リクエストのあったアニメソングをひたすらかける番組でした。番組は1989年4月から「青春ラジメニア」にリニューアル。パーソナリティに南かおりさん(かおりん)を加え、放送を現在まで継続する怪物長寿番組になっています。アニメーション神戸の司会もラジメニアのお2人が担当する、まさに関西アニラジ界の顔と言ってもいい番組です。この前身となった「アニメ玉手箱」の後世に与えた影響の大きさを物語るエピソードのひとつとして、現在放送されている「週刊!アニたま金曜日」や「アニたまどっとコム standard まるなげ」などのタイトルにある「アニたま」枠とは、アニメ玉手箱からとったものなんですね。

 同時期のアニラジ界を支えた巨人の一人がミンキー・ヤスさん。「mamiのRADIかるコミュニケーション」は当時から今まで変わらず放送中で、ヤスさんもご活躍されています。アニラジを世代論で考える上ですごく難しいのが、彼ら第一世代、そして続く第二世代の雄である林原めぐみさんなどが、未だに現役バリバリで活動しているため、区分けが難しいことなんです(笑)。脱線しましたが、ヤスさんの本名が岩崎康雄さんであることから、当時はW岩ちゃん、生き別れの兄弟、魂の兄弟などと様々なネタにされていたものです。個人的な感覚では、岩崎和夫さん、ミンキーヤスさん、そして少し世代は下がりますが文化放送アニメチック・アナウンサー、長谷川のび太さんなどの「放送現場にいるアニメを愛するおっさんたち」が大活躍したのがこの時代だと思います。放送は1993年になりますが、東海ラジオで「大アニメ博覧会」のパーソナリティをしていた作曲家・田中公平先生もこの世代のアニラジパーソナリティに含めてよいと思います。

 もちろん、この偉大なおっさんたちと一緒に、日高のり子さん、小森まなみさん、南かおりさんといった多くの偉大な女性たちがいた(いる)からこそ番組が成立していたわけで。この世代の女性アニラジパーソナリティの皆さんは、なぜか全く年を取らないのが不思議です。

 また、この時代、それらアニラジとはちょっと違った立ち位置で存在感を発揮していたのが富永みーなさん。KBS京都での「はいぱぁナイト」や、文化放送の「走れ!歌謡曲」など、いわゆるアニラジよりは、一歩一般層寄りの番組で人気を博していました。

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 想像以上に長くなりそうなので、続きます。

2008/01/21 04:13 | Comments(0) | TrackBack() | 雑記(アニメ系)

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