昨日は876プロ新人さんのことを書きました。僕も、発表を素直には受け止められない人の気持ちは、わかってはいるつもりです。アイマスの今までの歴史を踏まえてひっかかってるであろう部分も含めて。だから、「みんながDS版と876プロを100%ポジティブに受け入れようぜ!」と言うつもりはないのです。ただ、現時点ですでに、偏見や、拒絶ありきの空気に流されてしまう人がいるとしたら、それはあまりにも悲しい。
待ち受ける側よりも、入ってくる側の人たちは、ずーっと怖いし、緊張していると思うんです。出来上がった世界にそろりそろりと入って来て、「仲間として頑張ります!」「アイマスの歌が好きで、やよいちゃんの舌ったらずさがいいです」と、好意を示してくれている20やそこらのの女の子たちに向かって、揃って拒絶の姿勢じゃ、あんまりじゃないですか。無条件に受け入れろとは言いません。せめて、彼女たちがDSで何を見せるか、何を思い、何を歌い、何を演じるのか。それを見た上で好きになったり、嫌いになってもいいんじゃないかと。
今のアイマスと新しいアイマス、その接点から新しいものが生まれるかもしれないし、生まれないかもしれない。ただ、一方的な拒絶からは、何かが生まれる可能性が0なのは確かです。
* * *
とはいえ、なんでもポジティブに書いてばかりなのも一面的だと思うので、僕個人がん、と思った部分と、その周辺についても書いておきたいと思います。正直な感想を言ってしまえば、「876プロ(DS)の発表、3ヶ月、いや2ヶ月早くね?」と。4周年ツアーに関しては、961プロの、はらぬーあっきーのものにしてあげたかった、というのが、一ファンとしての僕の感想です。僕はアイマスに関しては結構追いかけているので、昨年の3周年、年明けの渋谷イベント、4周年ツアー、ラジオ、それ以外の取材のなどで、沼倉さんと原さんについては結構知ることができました。ただ、4周年ツアーなどで感想を聞いて回ると、「生はらみー初めて見た! かわいい!」「ぬーぬーがあんなに魅力的だとは実際に見るまで知らなかった」という人が、意外にたくさんいるのです。ゲームにしても、SPを買ったユーザーで、「ムーン」「サン」「スター」を3本ともクリアーした人って、意外と限られるんじゃないかと思います。
はらぬーに関しては、3周年は顔見せ。実質今回のツアーが初の大舞台なのですから、今回のツアーは沼倉愛美・原由実初の通し参加のツアーとして前面に押し出してあげたかったな、と思うんです。その上で、大々的に961→765という発表を東京でしてもよかったんじゃないかと。3周年の衝撃的な発表を見た、聞いた人たちにとって、765への合流を「名古屋会場でのガミPの雑談の速報」という形で聞かされるのは、ちょっと消化不良なのではないかな、と感じました。個人的には『ミュージカル・アイドルマスター』で1本上映できるぐらいの大きな転機・ビッグニュースなので、もうちょっと961組の移籍は大きく扱ってほしかったです。ツアーで961プロの合流の発表を描ききって、7月のパシフィコで(※妄想です)『アイマスDS』発表なら、きれいに繋がっただろうなーと。
* * *
では、なんでそれができなかったのか。考えると、それはガミPの「いろんなプロジェクトが動いてる」という言葉に帰結するのでしょう。僕らの眼から見えている「PSP」→「DS」という軸を中心に考えれば、少し早足の展開に見えます。が、実際水面下で進んでいる他の「何か」があるのがとすれば、話はちょっと変わってきます。1本のラインで大きく時間を取って進めていては、大渋滞を起こして、旬やタイミングを逃してしまうとしたら、それはそれで後世叩かれる原因になるでしょう。
そこでクローズアップしたいのが、「765プロの新たなアイドル」ではなく、「876プロの新人たち」という別ラインである、ということです。876に加入する声優さんたちは確かに実績とネームバリューがある若手の人たちです。ですが、今のタイミングで、“765プロの新人として、無名の新人声優さんが複数投入”されていたらどうでしょうか。おそらく、響と貴音、そして沼倉さんと原さんの立ち位置は、微妙に浮いてしまったのではないでしょうか。
新人の逐次投入のタイミングを間違った例に、三次元のアイドル・モーニング娘。があります。「ASAYAN」という広報媒体を失った時期に新規をどんどん投入し、オリジナルメンバーを卒業させていった結果、“物語の継承”は絶たれました。かつてのファンですら、新規メンバーの実像が掴めなくなり、離れていったのです。今、新人が5人、となった場合、コアなファン以外にとって、彼女たちは“新人たち”として群れで捉えられるようになるでしょう。その状態で、はたして今までのような濃密な思い入れが育てられたかどうか。876組の彼女たちは役者として、タレントとしての下地は持っている人たちですから、今の新人さんたちとファン、ガールズとの関係性が薄まることはありません。そこにあるのは別の切り口からの出会いと可能性だけです。
今回投入されたのは、“876プロの新たなアイドルたち”です。ですから、響や貴音が“765プロの(一番)新しい仲間”であることは変わりません。今後の展開で、「響や貴音や美希がプロデュースできる新たなアイマス」がプレイできる可能性や、「小鳥や舞や音がプロデュースできる新たなアイマス」がプレイできる可能性は、損なわれていないのです(※妄想です。)。この早すぎるテンポは、“別の軸として半期?ずらして動かしているから”と考えれば、頷けます。それに彼女たちが未来を見せてくれることによって、僕らは「審査員をする春香さん」とかも見れるわけで。既存のファンにとっても、これは悪い話じゃないと思うのです。そう考えていると、悩んだり疑問に思っていたことも、楽しみに、わくわくしてきたりするんですが。どんなもんでしょう。
結局僕らが根源的に恐れてるのは、「876がメインになって765が消えちゃう」という、2007年春と同じ恐怖だと思うのですが、現時点でわざわざ開発が始まったばかりのアイマス2を発表して、舞台は765プロだと明言するのはそこに対するケアでしょう。そもそもDS版に対するファンや市場の反応が全く分からない段階で、「今絶好調の765プロは切って876一本でいきます」という企画は通らないでしょう。あえて豪華声優を投入するなら、考えられるのはゲーム以外の周辺展開の方が本命じゃないのかな、と妄想します。
…もちろん、2でキャラが全部新キャラという可能性はあると思いますけど。それはもうDS版とはあんまし関係ない領域で、どんな作品であっても心の準備はしておくべき話ですしね。
待ち受ける側よりも、入ってくる側の人たちは、ずーっと怖いし、緊張していると思うんです。出来上がった世界にそろりそろりと入って来て、「仲間として頑張ります!」「アイマスの歌が好きで、やよいちゃんの舌ったらずさがいいです」と、好意を示してくれている20やそこらのの女の子たちに向かって、揃って拒絶の姿勢じゃ、あんまりじゃないですか。無条件に受け入れろとは言いません。せめて、彼女たちがDSで何を見せるか、何を思い、何を歌い、何を演じるのか。それを見た上で好きになったり、嫌いになってもいいんじゃないかと。
今のアイマスと新しいアイマス、その接点から新しいものが生まれるかもしれないし、生まれないかもしれない。ただ、一方的な拒絶からは、何かが生まれる可能性が0なのは確かです。
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とはいえ、なんでもポジティブに書いてばかりなのも一面的だと思うので、僕個人がん、と思った部分と、その周辺についても書いておきたいと思います。正直な感想を言ってしまえば、「876プロ(DS)の発表、3ヶ月、いや2ヶ月早くね?」と。4周年ツアーに関しては、961プロの、はらぬーあっきーのものにしてあげたかった、というのが、一ファンとしての僕の感想です。僕はアイマスに関しては結構追いかけているので、昨年の3周年、年明けの渋谷イベント、4周年ツアー、ラジオ、それ以外の取材のなどで、沼倉さんと原さんについては結構知ることができました。ただ、4周年ツアーなどで感想を聞いて回ると、「生はらみー初めて見た! かわいい!」「ぬーぬーがあんなに魅力的だとは実際に見るまで知らなかった」という人が、意外にたくさんいるのです。ゲームにしても、SPを買ったユーザーで、「ムーン」「サン」「スター」を3本ともクリアーした人って、意外と限られるんじゃないかと思います。
はらぬーに関しては、3周年は顔見せ。実質今回のツアーが初の大舞台なのですから、今回のツアーは沼倉愛美・原由実初の通し参加のツアーとして前面に押し出してあげたかったな、と思うんです。その上で、大々的に961→765という発表を東京でしてもよかったんじゃないかと。3周年の衝撃的な発表を見た、聞いた人たちにとって、765への合流を「名古屋会場でのガミPの雑談の速報」という形で聞かされるのは、ちょっと消化不良なのではないかな、と感じました。個人的には『ミュージカル・アイドルマスター』で1本上映できるぐらいの大きな転機・ビッグニュースなので、もうちょっと961組の移籍は大きく扱ってほしかったです。ツアーで961プロの合流の発表を描ききって、7月のパシフィコで(※妄想です)『アイマスDS』発表なら、きれいに繋がっただろうなーと。
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では、なんでそれができなかったのか。考えると、それはガミPの「いろんなプロジェクトが動いてる」という言葉に帰結するのでしょう。僕らの眼から見えている「PSP」→「DS」という軸を中心に考えれば、少し早足の展開に見えます。が、実際水面下で進んでいる他の「何か」があるのがとすれば、話はちょっと変わってきます。1本のラインで大きく時間を取って進めていては、大渋滞を起こして、旬やタイミングを逃してしまうとしたら、それはそれで後世叩かれる原因になるでしょう。
そこでクローズアップしたいのが、「765プロの新たなアイドル」ではなく、「876プロの新人たち」という別ラインである、ということです。876に加入する声優さんたちは確かに実績とネームバリューがある若手の人たちです。ですが、今のタイミングで、“765プロの新人として、無名の新人声優さんが複数投入”されていたらどうでしょうか。おそらく、響と貴音、そして沼倉さんと原さんの立ち位置は、微妙に浮いてしまったのではないでしょうか。
新人の逐次投入のタイミングを間違った例に、三次元のアイドル・モーニング娘。があります。「ASAYAN」という広報媒体を失った時期に新規をどんどん投入し、オリジナルメンバーを卒業させていった結果、“物語の継承”は絶たれました。かつてのファンですら、新規メンバーの実像が掴めなくなり、離れていったのです。今、新人が5人、となった場合、コアなファン以外にとって、彼女たちは“新人たち”として群れで捉えられるようになるでしょう。その状態で、はたして今までのような濃密な思い入れが育てられたかどうか。876組の彼女たちは役者として、タレントとしての下地は持っている人たちですから、今の新人さんたちとファン、ガールズとの関係性が薄まることはありません。そこにあるのは別の切り口からの出会いと可能性だけです。
今回投入されたのは、“876プロの新たなアイドルたち”です。ですから、響や貴音が“765プロの(一番)新しい仲間”であることは変わりません。今後の展開で、「響や貴音や美希がプロデュースできる新たなアイマス」がプレイできる可能性や、「小鳥や舞や音がプロデュースできる新たなアイマス」がプレイできる可能性は、損なわれていないのです(※妄想です。)。この早すぎるテンポは、“別の軸として半期?ずらして動かしているから”と考えれば、頷けます。それに彼女たちが未来を見せてくれることによって、僕らは「審査員をする春香さん」とかも見れるわけで。既存のファンにとっても、これは悪い話じゃないと思うのです。そう考えていると、悩んだり疑問に思っていたことも、楽しみに、わくわくしてきたりするんですが。どんなもんでしょう。
結局僕らが根源的に恐れてるのは、「876がメインになって765が消えちゃう」という、2007年春と同じ恐怖だと思うのですが、現時点でわざわざ開発が始まったばかりのアイマス2を発表して、舞台は765プロだと明言するのはそこに対するケアでしょう。そもそもDS版に対するファンや市場の反応が全く分からない段階で、「今絶好調の765プロは切って876一本でいきます」という企画は通らないでしょう。あえて豪華声優を投入するなら、考えられるのはゲーム以外の周辺展開の方が本命じゃないのかな、と妄想します。
…もちろん、2でキャラが全部新キャラという可能性はあると思いますけど。それはもうDS版とはあんまし関係ない領域で、どんな作品であっても心の準備はしておくべき話ですしね。
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『アイドルマスター ディアリースター』で中里の好みのキャラクターは? との問いに、今のところ5人中5人に「絵里。」との解答を頂いております。ななぜ。実際のところどうかは今のところ秘密として、アイマスDSの3人について最近ちょっと気になっていることについて書きたいと思います。テーマはズバリ“アイドルに歌唱力は必要か”。
新しいアイドル、そして中の人を語る上で、結構取りざたされるパラメーターに“歌唱力”というものがあります。既存メンバーだと千早やあずさ、真などは比較的「歌唱力がある」と言われることが多いように思います。アイマスも4周年を迎え、ボーカルコンテンツとしても成熟した結果、「MASTER SPECIAL」シリーズなどでは、非常にテクニカルな楽曲も増えてきています。僕は結構カラオケ好きでそう下手でもないとは思うんですが、「黎明スターライン」や「livE」は全く歌いこなせないですね。「隣に」とかは声量や音域といったスペックの問題ですが、MSシリーズではもうちょっとテクニカルな意味での難曲が増えてますね。
ですが、です。だから“アイマスに参入するアイドルはどんな楽曲も歌いこなせる歌唱力が必要”とは、僕は思いません。MSシリーズは、アイマスシリーズが4周年を迎え、各人が4年以上キャラと、アイマスソングと向かいあった上で投入されたシリーズです。各キャラクターの特性とスキルを音楽チームが十二分にわかった上で、今のこの子ならこれは歌える、との判断のもとゴーサインが出るわけです。その領域のスキルを、新規で入ってくる新人は備えているべきなのか? その意味で言えば、答えは明確にノーだと思います。
では歌唱力は不必要なのか? そんなことはありません。知り合いに無印アイマスで僕の好きなキャラは、と聞いたら20人中18人ぐらいは千早と答えると思うのですが(2人ぐらいは響というと思います)、千早の魅力は歌唱の魅力と表現力にあると僕は思います。ただそれは「歌唱力があるからいい・偉い」のではなく、「歌唱力とそれをバックボーンにしたパーソナリティが魅力的」なだけです。極端な話、「歌がうまくて魅力的」と、「歌はうまくないけどがんばってて魅力的」は、等価だと個人的には思ってます。アイマスで言えば、前者の代表例は千早であり、後者の代表例は春香だと思います。何度も何度も言ってることですが、アイマスのライブを長い期間見る上での楽しさに中に人の成長や変化を見守るというのがあって、中村さんほど努力してうまくなった人はいないと思うのです。
最近、「Prism」をリリースした下田麻美さんにお話を伺ったんですが、「歌のうまさとかでは歌手の人にはかなわない」とはっきり明言してるんですね。その上で、歌の技術的な巧拙よりも、「私は役者なので、歌の歌詞の中にこめるニュアンスや想いを表現したい」ということを話していたのが印象に残っています。キャラクターソングの中での役者としての表現については、釘宮さんも近いニュアンスの事を話していた覚えがあります。
その上で、アイマスのアイドルたちの世界に飛び込む新人というキャラクター、立場、想いを表現するのに、高いスキルや完成された技術って、必要でしょうか? 場合によっては邪魔ですらあるんじゃないかと思います。持っている実力・表現の中で何を見せるか、どう成長するかが大事なのではないかと、思うのです。うまいけどつまらない人もいれば、決してうまくはないけどたまらなく魅力的な人だって、世の中にはいるはずです。DSの新人たちがはたしてどちらかは、実際にどういう表現を見せてくれるかを見て判断することだと思います。少なくとも、「アイマスガールズの一員としてがんばります!」「アイマスの歌が好きです」と、知らない世界に対して前向きに入ってこようとしている人たち、アイマスガールズが「新たな仲間」として紹介している人たちを、偏狭な縄張り意識で排斥しようとするのは、どうにも粋じゃないなぁと、思うのですよ。
先日放送されたラジオ「花澤香菜のひとりでできるかな?」にて、絵里の「“HELLO!!”」ソロバージョンが紹介されました。個人的にはいい感じだと思います。その上で、花澤さんが『かんなぎ』や『セキレイ』で歌っている楽曲を色々聴きなおして予習しているのですが、個人的に強く印象に残ったのは、『セキレイ』OP「セキレイ」のライブバージョンです。セキレイのOPといえば、神前暁さんが手掛けた“田中公平先生テイストあふれる”楽曲なのですが、DVD特典としてライブ音源が収録されてるんですね。歌っているのは早見沙織さん、井上麻里奈さん、遠藤綾さん、そして草野こと花澤香菜さん。これがまた早見さん井上さん遠藤さんがうまいのです。特に早見沙織さんはアイム所属の18歳ということで、アイマスに今後関わってきたりしてと期待してたりもするのですが。
そんな中花澤さんは、ちょっと力みが入ってかわいいジャイアンっぽくなってるのですが……それがマイナスかと言えばですね。なんかニコニコしてがんばれがんばれと応援したくなるのですよ。かわいいなあと。曲を一聴して大きく印象に残るポイントのひとつがそれなら、それはもう勝ちなんじゃないかと思います。東京ライブでは、キレッキレの戸松さんのダンスが印象的でしたが、それと同じぐらい、慣れないなりにがんばってる花澤さんも印象的でした。
持てる中で何を見せ、どんな成長を見せるか。その意味で「新たにアイマスにやってくる新人さん」としては、花澤さんに一番注目してます。個人的には『ぽてまよ』のアフレコ取材をさせてもらったことがあるんですが、デビュー当時から比較して、こんなに演技が伸びてる人ってなかなかいないと思います。今後は“アイドル”花澤香菜さんにも個人的大注目なのです。
新しいアイドル、そして中の人を語る上で、結構取りざたされるパラメーターに“歌唱力”というものがあります。既存メンバーだと千早やあずさ、真などは比較的「歌唱力がある」と言われることが多いように思います。アイマスも4周年を迎え、ボーカルコンテンツとしても成熟した結果、「MASTER SPECIAL」シリーズなどでは、非常にテクニカルな楽曲も増えてきています。僕は結構カラオケ好きでそう下手でもないとは思うんですが、「黎明スターライン」や「livE」は全く歌いこなせないですね。「隣に」とかは声量や音域といったスペックの問題ですが、MSシリーズではもうちょっとテクニカルな意味での難曲が増えてますね。
ですが、です。だから“アイマスに参入するアイドルはどんな楽曲も歌いこなせる歌唱力が必要”とは、僕は思いません。MSシリーズは、アイマスシリーズが4周年を迎え、各人が4年以上キャラと、アイマスソングと向かいあった上で投入されたシリーズです。各キャラクターの特性とスキルを音楽チームが十二分にわかった上で、今のこの子ならこれは歌える、との判断のもとゴーサインが出るわけです。その領域のスキルを、新規で入ってくる新人は備えているべきなのか? その意味で言えば、答えは明確にノーだと思います。
では歌唱力は不必要なのか? そんなことはありません。知り合いに無印アイマスで僕の好きなキャラは、と聞いたら20人中18人ぐらいは千早と答えると思うのですが(2人ぐらいは響というと思います)、千早の魅力は歌唱の魅力と表現力にあると僕は思います。ただそれは「歌唱力があるからいい・偉い」のではなく、「歌唱力とそれをバックボーンにしたパーソナリティが魅力的」なだけです。極端な話、「歌がうまくて魅力的」と、「歌はうまくないけどがんばってて魅力的」は、等価だと個人的には思ってます。アイマスで言えば、前者の代表例は千早であり、後者の代表例は春香だと思います。何度も何度も言ってることですが、アイマスのライブを長い期間見る上での楽しさに中に人の成長や変化を見守るというのがあって、中村さんほど努力してうまくなった人はいないと思うのです。
最近、「Prism」をリリースした下田麻美さんにお話を伺ったんですが、「歌のうまさとかでは歌手の人にはかなわない」とはっきり明言してるんですね。その上で、歌の技術的な巧拙よりも、「私は役者なので、歌の歌詞の中にこめるニュアンスや想いを表現したい」ということを話していたのが印象に残っています。キャラクターソングの中での役者としての表現については、釘宮さんも近いニュアンスの事を話していた覚えがあります。
その上で、アイマスのアイドルたちの世界に飛び込む新人というキャラクター、立場、想いを表現するのに、高いスキルや完成された技術って、必要でしょうか? 場合によっては邪魔ですらあるんじゃないかと思います。持っている実力・表現の中で何を見せるか、どう成長するかが大事なのではないかと、思うのです。うまいけどつまらない人もいれば、決してうまくはないけどたまらなく魅力的な人だって、世の中にはいるはずです。DSの新人たちがはたしてどちらかは、実際にどういう表現を見せてくれるかを見て判断することだと思います。少なくとも、「アイマスガールズの一員としてがんばります!」「アイマスの歌が好きです」と、知らない世界に対して前向きに入ってこようとしている人たち、アイマスガールズが「新たな仲間」として紹介している人たちを、偏狭な縄張り意識で排斥しようとするのは、どうにも粋じゃないなぁと、思うのですよ。
先日放送されたラジオ「花澤香菜のひとりでできるかな?」にて、絵里の「“HELLO!!”」ソロバージョンが紹介されました。個人的にはいい感じだと思います。その上で、花澤さんが『かんなぎ』や『セキレイ』で歌っている楽曲を色々聴きなおして予習しているのですが、個人的に強く印象に残ったのは、『セキレイ』OP「セキレイ」のライブバージョンです。セキレイのOPといえば、神前暁さんが手掛けた“田中公平先生テイストあふれる”楽曲なのですが、DVD特典としてライブ音源が収録されてるんですね。歌っているのは早見沙織さん、井上麻里奈さん、遠藤綾さん、そして草野こと花澤香菜さん。これがまた早見さん井上さん遠藤さんがうまいのです。特に早見沙織さんはアイム所属の18歳ということで、アイマスに今後関わってきたりしてと期待してたりもするのですが。
そんな中花澤さんは、ちょっと力みが入ってかわいいジャイアンっぽくなってるのですが……それがマイナスかと言えばですね。なんかニコニコしてがんばれがんばれと応援したくなるのですよ。かわいいなあと。曲を一聴して大きく印象に残るポイントのひとつがそれなら、それはもう勝ちなんじゃないかと思います。東京ライブでは、キレッキレの戸松さんのダンスが印象的でしたが、それと同じぐらい、慣れないなりにがんばってる花澤さんも印象的でした。
持てる中で何を見せ、どんな成長を見せるか。その意味で「新たにアイマスにやってくる新人さん」としては、花澤さんに一番注目してます。個人的には『ぽてまよ』のアフレコ取材をさせてもらったことがあるんですが、デビュー当時から比較して、こんなに演技が伸びてる人ってなかなかいないと思います。今後は“アイドル”花澤香菜さんにも個人的大注目なのです。
1999年1月・全日本プロレス大阪府立体育会館大会。三沢光晴対川田利明の三冠戦は、四天王プロレスのひとつの到達点のひとつだったと思います。クライマックスは川田のパワーボムを三沢がウラカン・ラナで切り返そうとする攻防。お互いの重心とパワー、遠心力が均衡したところで、川田が押しつぶす。エビぞったまま、ぐしゃりとありえない角度で潰される三沢。
ゾっとしました。なんとなく、“壊れる”という予感しかしない潰し方だったから。試合後、府立の裏口に救急車が到着し、僕と友人は居てもたってもいられずそちらに走りました。三沢にもしものことが……と思ったからです。ところが、その日運ばれていったのは、勝ったはずの川田。実は試合中に川田は右腕尺骨を骨折していたといいます。その後、駅に向かう途中のホテルのロビーで談笑する三沢の姿を見て、やっぱり三沢は不死身だと僕らは笑っていました。しかしそれぐらいギリギリのところで試合は行われていたのです。
* * *
僕は、全日本プロレスを馬鹿にしていた時期がありました。猪木が先頭に立つ新日本プロレスの刺激的な雰囲気に比べて、全日は鈍重な相撲取りがもたもたした試合をしている団体、ガイジンはすごいけど……そんな偏見(と一面の事実)があったのです。それを変えてくれたのが、若き日の二代目タイガーであり、ハンセンに立ち向かう小橋の姿でした。
90年代中ばから2000年を少し回る頃まで。全日本プロレスと全日本女子プロレス、2つの“ALL JAPAN”が、確かに日本一面白い格闘スポーツだった時期があったと、僕は思っています。エンターテイメントと闘いを両立したプロレスの、ひとつの到達点がそこにあったと。これから、有識者によって技の危険がクローズアップされるでしょう。しかし、四天王プロレスの発明は、頭から落とす危険な技ではありません。あらゆる技の存在を可能にする、美しく、地道な“受け”です。三沢なら、小橋なら絶対に受け切る。それだけのゆるぎない信頼と技術が彼らにはあったのです。
頭部から落とす危険な技の代名詞である三沢の“タイガードライバー91”ですが、彼がこの技を(多くは受けが未熟な)外国人レスラーに仕掛けることはほとんどありませんでした。外人の巨漢レスラーへのフィニッシュは、多くはエルボー、エルボー、ローリングエルボー。少なくとも全盛期の三沢たちには、身体的リスクと試合の熱狂をハンドリングするだけの力量と神通力があったはずです。
しかし、社長業にウェイトを移し始めてからの三沢には、当時ほどの絶対的な安心感はありませんでした。誰の目にも明らかなコンディション不良と疲労の蓄積。それでも経営者だからこそ、日本テレビがテレビ中継から撤退し、故障者と不調者の寄せ集めのような状態の今のノアでは、“レスラー三沢光晴”を欠かすことはできなかったのでしょう。
かつて僕は、JWP女子プロレスのファンでした。ですから97年にプラム麻里子(06/16/3:30プラム選手の漢字訂正しました)選手が亡くなった時に、パソコン通信などで「プロレスはこのままでいいの?」と疑問を提起して、帰ってきた男子プロレスファンから透けて見える「女子の出来事だから」という他人ごと感に絶望したものでした。しかし、何度も立ち止まるタイミングはあったはずなんです。福田選手の死。ブラック・タイガーことエディ・ゲレロの死。後藤達俊のバックドロップで馳が死にかけたのを、僕らは武勇伝のように聞いていたけれど、あれだって本質は変わらない。
それでも僕らは2.9プロレスを、過激化する必殺技の数々に喝采を上げ続けていました。だから、今回の事故の“責任”は技をかけた選手だけでなく、選手を取り巻く業界や、ファンたち全員にもあるのだということを忘れないでおきたいです。
だけど、その上で。倫理的に僕らは間違っていたのかもしれないし、これからプロレスは変化を余儀なくされるかもしれないけれど。
何千回と危険な技をかけ、何万回と危険な技をかけられ続けた三沢光晴のプロレスは、美しかった。明るく、楽しく、激しくというプロレスを誰よりも体現していた三沢光晴は、本当にかっこよかった。みっともない社長腹で、リングに上がり続ける三沢光晴が見たかった。
数年前に最後にノアを生観戦したのがいつだったかはっきりとは思い出せない、そんな元プロレスファンですが。僕は三沢光晴のプロレスを忘れません。僕の10代の頃のヒーローは貴方でした。ありがとう。
ゾっとしました。なんとなく、“壊れる”という予感しかしない潰し方だったから。試合後、府立の裏口に救急車が到着し、僕と友人は居てもたってもいられずそちらに走りました。三沢にもしものことが……と思ったからです。ところが、その日運ばれていったのは、勝ったはずの川田。実は試合中に川田は右腕尺骨を骨折していたといいます。その後、駅に向かう途中のホテルのロビーで談笑する三沢の姿を見て、やっぱり三沢は不死身だと僕らは笑っていました。しかしそれぐらいギリギリのところで試合は行われていたのです。
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僕は、全日本プロレスを馬鹿にしていた時期がありました。猪木が先頭に立つ新日本プロレスの刺激的な雰囲気に比べて、全日は鈍重な相撲取りがもたもたした試合をしている団体、ガイジンはすごいけど……そんな偏見(と一面の事実)があったのです。それを変えてくれたのが、若き日の二代目タイガーであり、ハンセンに立ち向かう小橋の姿でした。
90年代中ばから2000年を少し回る頃まで。全日本プロレスと全日本女子プロレス、2つの“ALL JAPAN”が、確かに日本一面白い格闘スポーツだった時期があったと、僕は思っています。エンターテイメントと闘いを両立したプロレスの、ひとつの到達点がそこにあったと。これから、有識者によって技の危険がクローズアップされるでしょう。しかし、四天王プロレスの発明は、頭から落とす危険な技ではありません。あらゆる技の存在を可能にする、美しく、地道な“受け”です。三沢なら、小橋なら絶対に受け切る。それだけのゆるぎない信頼と技術が彼らにはあったのです。
頭部から落とす危険な技の代名詞である三沢の“タイガードライバー91”ですが、彼がこの技を(多くは受けが未熟な)外国人レスラーに仕掛けることはほとんどありませんでした。外人の巨漢レスラーへのフィニッシュは、多くはエルボー、エルボー、ローリングエルボー。少なくとも全盛期の三沢たちには、身体的リスクと試合の熱狂をハンドリングするだけの力量と神通力があったはずです。
しかし、社長業にウェイトを移し始めてからの三沢には、当時ほどの絶対的な安心感はありませんでした。誰の目にも明らかなコンディション不良と疲労の蓄積。それでも経営者だからこそ、日本テレビがテレビ中継から撤退し、故障者と不調者の寄せ集めのような状態の今のノアでは、“レスラー三沢光晴”を欠かすことはできなかったのでしょう。
かつて僕は、JWP女子プロレスのファンでした。ですから97年にプラム麻里子(06/16/3:30プラム選手の漢字訂正しました)選手が亡くなった時に、パソコン通信などで「プロレスはこのままでいいの?」と疑問を提起して、帰ってきた男子プロレスファンから透けて見える「女子の出来事だから」という他人ごと感に絶望したものでした。しかし、何度も立ち止まるタイミングはあったはずなんです。福田選手の死。ブラック・タイガーことエディ・ゲレロの死。後藤達俊のバックドロップで馳が死にかけたのを、僕らは武勇伝のように聞いていたけれど、あれだって本質は変わらない。
それでも僕らは2.9プロレスを、過激化する必殺技の数々に喝采を上げ続けていました。だから、今回の事故の“責任”は技をかけた選手だけでなく、選手を取り巻く業界や、ファンたち全員にもあるのだということを忘れないでおきたいです。
だけど、その上で。倫理的に僕らは間違っていたのかもしれないし、これからプロレスは変化を余儀なくされるかもしれないけれど。
何千回と危険な技をかけ、何万回と危険な技をかけられ続けた三沢光晴のプロレスは、美しかった。明るく、楽しく、激しくというプロレスを誰よりも体現していた三沢光晴は、本当にかっこよかった。みっともない社長腹で、リングに上がり続ける三沢光晴が見たかった。
数年前に最後にノアを生観戦したのがいつだったかはっきりとは思い出せない、そんな元プロレスファンですが。僕は三沢光晴のプロレスを忘れません。僕の10代の頃のヒーローは貴方でした。ありがとう。