ちょっと前の記事になりますが、かーずさんのところ経由で気になる記事を見つけました。「かさぶた。」さんの記事なんですが、まずこちらをお読みください。
http://gamenokasabuta.blog86.fc2.com/blog-entry-389.html
一応ゲームメディアで書いているライターの端くれとしてレスポンスさせてもらうと、かなり痛い部分を突かれたなぁ、という感触があります。具体的に言えば、「良識あるライターは嘘は書かないけれど、書くか、書かないかを選別することはある」ということです。たとえばグラフィックが素晴らしいがゲーム性はクソである……という作品があった場合、基本的には「グラフィックが素晴らしい」ことを第一に書くでしょうね、たしかに。その上で、ゲーム性の難に関してどの程度切り込んでいくかは、その媒体のカラー、路線によるでしょう。
ライターという職業に関してよく誤解されることですが、ライターという仕事は、それほどクリエイティブなものではありません。基本的に、代替が効く作業であり、執筆する内容もその媒体の方針やルールにのっとったものです。仮に、「無条件に製品を持ち上げる提灯記事を書いてください」という依頼があった場合、僕らライターにはふたつの選択肢があります。「そういうものは自分の職業意識上書けない」と仕事を断るか、仕事を引き受けた以上、全力で提灯持ちになるかです。「提灯持ちますよ~」と引き受けた仕事で、「いやいやプロとしてそうは書けない」なんて言いだすのはアマチュアであり、ごちゃごちゃ言うならそういう仕事は最初から受けるべきではないのです。
もちろん、ライターとてロボットではありませんから、自分のカラー、意見の入る余地はあります。その場合に僕が心がけているのは、ユーザーに対して嘘はつかないことです。面白くないものを「面白い!」とは書きませんし、グラフィックが糞なものを素晴らしい絵とは書きません。そうした個人の主義と、媒体のカラーや方針が衝突した時にライターが取る方法が「書くことと書かないことの選別」なのです。僕はフリーランスのライターですから、比較的自由度が高い立場にあります。どうしても自分の主義に合わない記事は断ることが出来るのですから。しかし、企業に所属する形で社員として働いている人たちを、お前たちは嘘つきだ、提灯持ちだと糾弾するのはいささか酷だなぁ、というのが正直なところ。しかし基本的に、批判的なカラーでない媒体の場合、ゲーム関連の記事は“良かった探し”になる傾向があるのは、確かなことです。ですから、読み手の側としても、商業媒体のテキストは選択する上の判断基準のひとつに留めて、その上で行間やニュアンスも読んで頂ければ、と。良心的なライターなら、一部を書かないことはあっても、まるっきりの嘘を並べ立てることはしない筈です。それではジャーナリストではないだろう…という指摘に対しては、はい、僕らはジャーナリストではなくライターです、という返答になってしまうのですが。
……と。ここまで書いてきてなんなんですが。この枠に当てはまらないのが、「テンプレート原稿」です。たくさんの商品・作品を紹介する枠の場合、ひとつひとつのゲーム・音楽・映画などを細かくチェックしていては、とても追いつかないし、採算にあわないような仕事というのは存在します。わりと頻繁に。そうした仕事の場合、メーカーから回ってきたリリースをベースにテキストを作ることになります。メーカーから回ってくる資料に短所が書いてあるはずがありませんから、どうしたって長点のオンパレードになるわけですね。
表現方法にもテンプレートというものはあって、僕個人の場合、できればこれはあんまりだから使いたくないなぁ……というものも幾つかあります。ゲーム関係で言えば、PS3ソフトを「プレイステーション3ならではの映像クオリティ」と評したり、Wiiソフトを「Wiiならではの直感的な操作」と評したりですね。直感的な操作、というのを体系立てて説明できる人がどれぐらいいるでしょうか。でも、なんとなくニュアンスが伝わりそうな便利な言葉として頻繁に使われています。
ゲームライター仲間との笑い話で最近盛り上がったのが、「Wii版の『上海』、お前ならどう紹介する?」という話。案の定、どこのサイトも(おそらくメーカーリリースにそう書いてあるのでしょう)“Wiiならではの直感的な操作で「上海」が楽しめる”て書いてあるんですけどね。読めば読むほど、上海でWiiならではの直感的な操作……て、ちょっと面白くありませんか。でも、定められた文字数を埋めることが仕事のライターにとって、定型テンプレートの誘惑ってのは、案外抗いがたいものがあるんですよね。そもそも、ライター個人の個性が求められる仕事なんて、ごくごく限られますから。
http://gamenokasabuta.blog86.fc2.com/blog-entry-389.html
一応ゲームメディアで書いているライターの端くれとしてレスポンスさせてもらうと、かなり痛い部分を突かれたなぁ、という感触があります。具体的に言えば、「良識あるライターは嘘は書かないけれど、書くか、書かないかを選別することはある」ということです。たとえばグラフィックが素晴らしいがゲーム性はクソである……という作品があった場合、基本的には「グラフィックが素晴らしい」ことを第一に書くでしょうね、たしかに。その上で、ゲーム性の難に関してどの程度切り込んでいくかは、その媒体のカラー、路線によるでしょう。
ライターという職業に関してよく誤解されることですが、ライターという仕事は、それほどクリエイティブなものではありません。基本的に、代替が効く作業であり、執筆する内容もその媒体の方針やルールにのっとったものです。仮に、「無条件に製品を持ち上げる提灯記事を書いてください」という依頼があった場合、僕らライターにはふたつの選択肢があります。「そういうものは自分の職業意識上書けない」と仕事を断るか、仕事を引き受けた以上、全力で提灯持ちになるかです。「提灯持ちますよ~」と引き受けた仕事で、「いやいやプロとしてそうは書けない」なんて言いだすのはアマチュアであり、ごちゃごちゃ言うならそういう仕事は最初から受けるべきではないのです。
もちろん、ライターとてロボットではありませんから、自分のカラー、意見の入る余地はあります。その場合に僕が心がけているのは、ユーザーに対して嘘はつかないことです。面白くないものを「面白い!」とは書きませんし、グラフィックが糞なものを素晴らしい絵とは書きません。そうした個人の主義と、媒体のカラーや方針が衝突した時にライターが取る方法が「書くことと書かないことの選別」なのです。僕はフリーランスのライターですから、比較的自由度が高い立場にあります。どうしても自分の主義に合わない記事は断ることが出来るのですから。しかし、企業に所属する形で社員として働いている人たちを、お前たちは嘘つきだ、提灯持ちだと糾弾するのはいささか酷だなぁ、というのが正直なところ。しかし基本的に、批判的なカラーでない媒体の場合、ゲーム関連の記事は“良かった探し”になる傾向があるのは、確かなことです。ですから、読み手の側としても、商業媒体のテキストは選択する上の判断基準のひとつに留めて、その上で行間やニュアンスも読んで頂ければ、と。良心的なライターなら、一部を書かないことはあっても、まるっきりの嘘を並べ立てることはしない筈です。それではジャーナリストではないだろう…という指摘に対しては、はい、僕らはジャーナリストではなくライターです、という返答になってしまうのですが。
……と。ここまで書いてきてなんなんですが。この枠に当てはまらないのが、「テンプレート原稿」です。たくさんの商品・作品を紹介する枠の場合、ひとつひとつのゲーム・音楽・映画などを細かくチェックしていては、とても追いつかないし、採算にあわないような仕事というのは存在します。わりと頻繁に。そうした仕事の場合、メーカーから回ってきたリリースをベースにテキストを作ることになります。メーカーから回ってくる資料に短所が書いてあるはずがありませんから、どうしたって長点のオンパレードになるわけですね。
表現方法にもテンプレートというものはあって、僕個人の場合、できればこれはあんまりだから使いたくないなぁ……というものも幾つかあります。ゲーム関係で言えば、PS3ソフトを「プレイステーション3ならではの映像クオリティ」と評したり、Wiiソフトを「Wiiならではの直感的な操作」と評したりですね。直感的な操作、というのを体系立てて説明できる人がどれぐらいいるでしょうか。でも、なんとなくニュアンスが伝わりそうな便利な言葉として頻繁に使われています。
ゲームライター仲間との笑い話で最近盛り上がったのが、「Wii版の『上海』、お前ならどう紹介する?」という話。案の定、どこのサイトも(おそらくメーカーリリースにそう書いてあるのでしょう)“Wiiならではの直感的な操作で「上海」が楽しめる”て書いてあるんですけどね。読めば読むほど、上海でWiiならではの直感的な操作……て、ちょっと面白くありませんか。でも、定められた文字数を埋めることが仕事のライターにとって、定型テンプレートの誘惑ってのは、案外抗いがたいものがあるんですよね。そもそも、ライター個人の個性が求められる仕事なんて、ごくごく限られますから。
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