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2024/11/22 18:30 |
私家版・アニラジ史考察(1)(1980年代)
 アニラジが好きです。ジャンルや媒体が多様化した今、アニラジってなんだろう……という問いに答えるのは難しいです。たとえば一時期関西で多かった「芸人+声優によるラジオ」はアニラジなのか、とかね。基本的に僕は、アニメファンやその周辺ジャンルを対象にしたラジオ、声優さんやアニソンシンガーが中心になって関わっている番組はすべからくアニラジだと考えているので、その前提で読んでください。

 僕は昔からアニラジが好きなので、よく聞きます。最近は、時間を選ばないwebラジオが増えてきたのでありがたい一方、あまりに番組が多すぎて追いきれない……という、夢のような時代が来ています。13年ぐらい前の自分に教えてやりたいですね。当時は週末はラジオ関西(AM神戸)やラジオ大阪といったアニメに強い放送局に張り付きつつ、井上喜久子さんの瑠璃色アクアリウムや久川綾さんのシャイニーナイトを聞くために山陽・山陰などのラジオ局をチューニングしたり。『パラサイトイブ』のラジオドラマに榊原良子さんが出演したときは、琉球放送を聴いたっけ。亡くなった爺さんの家の近くで年越し中、電波状況のいい自家用車の中で「RADIコミ」を聞いてオリオンを見上げたりもしたものです。

 そんな、アニラジを聞く行為が、韓国人やロシア人の発する雑音との戦いだった頃。ラジオ大阪と東海ラジオ、文化放送とKBS京都の周波数が近すぎることにブチ切れた日々は、歴史の中の一コマになりました。現在では多くの放送はwebを通じてチェックができます。これは情報の共有という意味で非常にありがたいことですが、その一方、インターネットが普及する以前、パーソナリティとリスナーがAM電波とハガキだけでつながっていた時代のことは、僕らおっさんの脳みそ以外からは、次第に忘れられつつあります。このまま風化してしまうのもちょっと寂しいので、自分にとっての“アニラジの歴史”を小文として書き留めておきたいと思います。これは、関西で育った一オタクの視点を通しての物なので、他の方からの視点や、その人なりの原点などをコメント、トラバなどでお聞かせ頂けると大変ありがたいです。

●先史時代(1980年代前半)
 元祖アニラジといえば、1979年スタートの『アニメトピア』になるのでしょうか。麻上洋子さん、吉田理保子さん、田中真弓、島津冴子さんといった豪華メンバーによるレジェンド番組ですね。もっとも、内容はいわゆる「アニラジ」からはかけ離れたものだったようですが。その後、『週刊ラジオアニメック』『ラジオアニメディア』『ペアペア・アニメージュ』などの、いわゆるアニメ雑誌主導型の番組がたくさん作られた、そうです。そうです……というのは、1978年生まれの僕が「声優」というものを意識したのは、1989年頃のことだったからです。「『魔神英雄伝ワタル』のヒミコと、『天空戦記シュラト』のレンゲは、どちらもスタッフロールに“林原めぐみ”という名前がある。声優ってなんてすごいんだ!」と思ったのが原体験。小学校四年生か五年生の頃でした。そんなわけで、この時期のことは、「僕のフィルターを通した歴史」では有史以前なのです。1980年代にはアニメ雑誌が主体となった番組が数あり、消えていった……という点のみ押さえておきたいと思います。あ、元祖となった『アニメトピア』も、「マイアニメ」や「ジ・アニメ」とのタイアップを行なっていたようです。

●アニラジ黎明期(1980年代後半)
 アニメブームが落ち着くとともに、アニメ雑誌が主体となったラジオは姿を消しました。しかし、媒体としての力を失いつつあったAM放送局にとって、「アニメファン」という、テレビメディアからはこぼれおちやすい固定客の存在は魅力だったはずです。しかし、かつてのようなアニメ誌主導の番組作りは難しい。そこで活躍したのが、民放AM各局に存在したアニメを愛する局アナ・関係者の皆さんの存在です。初期のアニラジグランプリや当時のアニメ誌などを探してみてください。番組リストの中には他地方の人間からすると「あなたは誰?」という感じの局アナさんと、地元密着型のタレントさん……といった風情の、地元のオピニオンリーダーって感じのローカルアニメ番組がたくさんありました。そうした中、僕の生まれ育った神戸にも一人の巨人がいました。ラジオ関西アナウンサー(当時)・岩崎和夫さん、通称岩ちゃんです。

 1986年4月~1989年3月に放送された「アニメ玉手箱」は、放送開始当時はノンスポンサー(!)で、リクエストのあったアニメソングをひたすらかける番組でした。番組は1989年4月から「青春ラジメニア」にリニューアル。パーソナリティに南かおりさん(かおりん)を加え、放送を現在まで継続する怪物長寿番組になっています。アニメーション神戸の司会もラジメニアのお2人が担当する、まさに関西アニラジ界の顔と言ってもいい番組です。この前身となった「アニメ玉手箱」の後世に与えた影響の大きさを物語るエピソードのひとつとして、現在放送されている「週刊!アニたま金曜日」や「アニたまどっとコム standard まるなげ」などのタイトルにある「アニたま」枠とは、アニメ玉手箱からとったものなんですね。

 同時期のアニラジ界を支えた巨人の一人がミンキー・ヤスさん。「mamiのRADIかるコミュニケーション」は当時から今まで変わらず放送中で、ヤスさんもご活躍されています。アニラジを世代論で考える上ですごく難しいのが、彼ら第一世代、そして続く第二世代の雄である林原めぐみさんなどが、未だに現役バリバリで活動しているため、区分けが難しいことなんです(笑)。脱線しましたが、ヤスさんの本名が岩崎康雄さんであることから、当時はW岩ちゃん、生き別れの兄弟、魂の兄弟などと様々なネタにされていたものです。個人的な感覚では、岩崎和夫さん、ミンキーヤスさん、そして少し世代は下がりますが文化放送アニメチック・アナウンサー、長谷川のび太さんなどの「放送現場にいるアニメを愛するおっさんたち」が大活躍したのがこの時代だと思います。放送は1993年になりますが、東海ラジオで「大アニメ博覧会」のパーソナリティをしていた作曲家・田中公平先生もこの世代のアニラジパーソナリティに含めてよいと思います。

 もちろん、この偉大なおっさんたちと一緒に、日高のり子さん、小森まなみさん、南かおりさんといった多くの偉大な女性たちがいた(いる)からこそ番組が成立していたわけで。この世代の女性アニラジパーソナリティの皆さんは、なぜか全く年を取らないのが不思議です。

 また、この時代、それらアニラジとはちょっと違った立ち位置で存在感を発揮していたのが富永みーなさん。KBS京都での「はいぱぁナイト」や、文化放送の「走れ!歌謡曲」など、いわゆるアニラジよりは、一歩一般層寄りの番組で人気を博していました。

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 想像以上に長くなりそうなので、続きます。
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2008/01/21 04:13 | Comments(0) | TrackBack() | 雑記(アニメ系)

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