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2024/11/22 18:14 |
私家版・アニラジ史考察(2)(1990年代前中期)
 私家版・アニラジ史考察(1)(1980年代)の続きになります。

 しかし前項を書いていて思ったんですが、アニラジって結構スポンサーが途切れたり、小口で採算が怪しくても続いてたりするんですよね。もちろんハガキがすごく多くて聴取率が高い、愛されている番組に限られるんですが。そういう牧歌的な時代がよかったなと思う反面、今のメールと違って「積み上げられるハガキ」てのは、有形無形のプレッシャーとしてパワーをもってたんだろうな、とも。

●三国時代(1990年代前半)
 90年代に入り、2つの声優界を代表する番組がスタートします。1991年の「林原めぐみのHeartful Station」と、1993年の國府田マリ子さんの「國府田マリ子のGAMEMUSEUM」です。関西人の僕にはこれらの番組がまず最初に来ますが、地方によっては「林原めぐみのTokyo Boogie Night」や「ツインビーPARADISE」の方が印象深い人も多いでしょう。少し興味深いのはスポンサーの変化で、ハートフルは「キングレコード(スターチャイルド)」と「セガ」、ゲームミュージアムは「コナミ」(と上新電機?)がメインスポンサーだったこと。景気がよく、資金力のあるメーカーがゲーム会社にスライドし、レコード会社がアニメと声優のCDを商材として重視しはじめたことがよくわかります。ハートフルにはセガ社員が「セガーズ」として出演したりもしてました。

 この頃のアニラジの特徴は、番組パーソナリティの個性を全面に押し出した、「パーソナリティ対リスナー」という個の関係を結んでいたことだと思います。番組構成上、ハートフルにはハガキ整理として来ていた(!)あみやまさはるさんがなぜかアシスタントになったり、GMはブース外の“サトデュー”とのやり取りがあったりはしましたが、基本的に女性パーソナリティの個性・トークを軸にした番組だったのは間違いありません。番組としての規模・影響力では林原めぐみさんが一歩先んじていた気もしますが、國府田さんが「ツイPARA」で提唱した「Beeメイツはベルを身につけよう」「合言葉はBee!」といった決め事は、当時の声オタの間には相当深く根を張っています。また、「女性声優によるCDリリース」が一気に加速したのがこの頃です。

 さて、三国時代と書いた以上、もう1人加えておきたいのが椎名へきるさんです。彼女の場合始動は1995年の「へきらーず☆radio」そして「SOMETHING DREAMS マルチメディアカウントダウン」だったので数年下がるのですが、ソロパーソナリティの個性の押し出し、そしてラジオパーソナリティとしての人気の獲得→CDリリースでのブレイク、というサイクルは間違いなく上記2人の系譜につながるものだと思うので。「へきら☆」「ウォンチュ~!!」といった挨拶が定番だった椎名さんですが、人気上昇とともに本人のロックシンガー志向が強くなり、FMラジオに媒体を移すや「皆さん今晩和……椎名へきるです」といったしっとりキャラに変身したことについては、未だに多くのファンにへきるショック的なトラウマを残しています。

●電撃時代(1990年代中期)
 さて、上記のような、カリスマ的人気の女性声優単体をフューチャーした番組が人気を博す一方、もうひとつ生まれた流れが、番組名にアニメのタイトルを冠し、ラジオドラマを流すスタイルの番組です。個人的な感覚での走りは1991年の『ラジメーション・魔神英雄伝ワタル3』(田中真弓さん・伊倉一寿さん)でしたが、この時代を象徴するのは岩田光央さん・石田彰さん・宮村優子さん・三重野瞳さんたち。この4人は本当によく出ていて、男性・女性の声優によるかけあいのラジオの基礎を築きました。走りは『レジェンド・オブ・クリスタニア はじまりの冒険者たち』だったと思いますが、この番組では石田彰さんが、歌手の乾和代さんとパーソナリティを務めていました。今では美形キャラとしての人気が不動の石田さんですが、スタート当時は「あんた誰」メールが多数送られ、石田さん自身もかなりのいじられキャラでした(定番役はオカマキャラ)。他には『電撃アワー 極道くん漫遊紀外伝』が石田彰さん・三石琴乃さんがパーソナリティ。あーさんオカマキャラ定着はこっちだったと思います。『ぼくのマリー』や『瞳と光央の爆発ラジオ』など、数え上げればきりがないですが、とにかくこの時代は上記4人の組み合わせが本当に多かったです。

 この時代のアニラジに力を入れていたのが、当時新興勢力だったメディアワークスです。いわゆる「電撃大賞」枠のスタートは1994年の『電撃大賞クリス・クロス』(三石琴乃さん)でしたが、こちらは文化放送ローカルだったので、僕らはCMばかり聞かされて歯噛みしていました。しかし真にこの枠のカラーが決まってきたのは1995年の『電撃大作戦』からで、田中真弓さん、笠原留美さんによる「若いアニラジリスナー向けなんだけど下ネタ全開」という新しいスタイルを提示しました。といっても、リスナー層が変わっただけで、田中真弓さんは大昔から一貫してこういうスタイルなんですが。

 まだまだ続きます。
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2008/01/21 12:52 | Comments(1) | TrackBack() | 雑記(アニメ系)

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コメント

僕はこの時期にラジオにはまり、関西にすんでいたので、窓際で必死に文化放送をきいたり、きける友達にとってもらったりとすごいなつかしかったす。

直球でいこうなんかはラジオドラマが3本くらいあった気がします。
posted by とおりすがりの人 at 2008/01/22 08:57 [ コメントを修正する ]

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