私家版・アニラジ史考察(1)(1980年代)
私家版・アニラジ史考察(2)(1990年代前中期)の続きです。
前項で男女掛け合い型の基礎を築いたと書いた岩田・石田・宮村・三重野の4人ですが、石田さんがへたれキャラから美形担当への転進、宮村さんがアクション方面へ、三重野さんが企画・構成・出演を一人でこなす最強のアニラジ職人に育つなど、進路はそれぞれ。でも当時と立ち位置・スタイルが全く変わってない岩田さんはちょっと素敵というか、すげーなぁとも思います。
●やまとなでしこ時代(1990年代末~)
1997年頃、ひとつのラジオが始まります。「私たち、翔びます!」それが後に一世を風靡した、あの田村ゆかりさんと濱百合亜さんによる番組でした。あれ? そう、11期生で最初にプッシュされたのは、田村さんと堀江由衣さんではなく、濱百合亜さんだったんですね。東海ラジオなのであまりちゃんと聞いてないんですが、「わたし、田村ゆかり。日ナレの優等生です、えっへん!」「私、濱百合亜、日ナレの落ちこぼれ。うふ」「うっそー!!」「でも、株式会社日本ナレーション演技研究所から、私たち、翔びました!」という有名なCMは印象に残ってます。CMの文面を見ればわかる通り、スポンサーは日本ナレーション演技研究所+ユーメックス。その後アーツ・アイムの若手売り出し番組の定番になる「VOICE CREW」の前身となる番組と言ってもいいかもしれないですね。田村ゆかりさんによる詩の朗読コーナーとか、今なら恥ずかしがって絶対にやってくれないと思われます。
この時代はそれほど注目されていなかった田村ゆかりさんですが、表舞台に躍り出たのが、1998年の『SOMETHING DREAMS マルチメディアカウントダウン』です。冨永みーなさんと椎名へきるさんがパーソナリティを務めていた人気番組に、椎名さんにかわって加入したのが、田村ゆかりさん、堀江由衣さんのやまとなでしこの2人でした。2人は番組内の「ドリカンクラブ」のメンバーで、当時のドリカンクラブには生天目仁美さんや浅川悠さんも含まれていました。2002年に2人ラジオになっていたドリカンが終了。その後2002年10月から「堀江由衣の天使のたまご」スタート、2003年4月に「田村ゆかりのいたずら黒うさぎ」が始まってからの2人の活躍は、周知の通りです。トップクラスの人気声優がやってるラジオって意味では前世代と一緒なんですが、林原さんや國府田さんが「ラジオパーソナリティ」だったのに対して、この世代は声優・歌手としての自分をそのまま出すというか、ある意味ゆるい、ちょいと隙のある感じが空気の違いかな、と。「リスナーとお姉さん的存在」みたいな、AMラジオ特有の空気が脱臭された時代な気がします。
●webラジオ黎明期(200?~2004年頃)
webラジオ黎明期にどのような番組が放送されていたかは、残念ながら僕は詳しくありません。知っている中で最古の現存するwebラジオは2001年スタートの「美佳子@ぱよぱよ」だと思うのですが、より以前の情報をお持ちの方がいれば教えてください。webラジオ時代が本格的に訪れたのは2004年~2005年、音泉とanimate.tvが本格稼動してからだと思います。が、それ以前にいち早くwebラジオで大きな注目を集めたのが、アダルトゲームメーカー・スタジオみりすが2002年から配信開始した“アケミとマリカのがっちゅみりみり放送局”でした。当時、新興メーカーだったスタジオみりす。コミケで、みさくらなんこつさんのイラスト入りの「ファミレスゲー、出る!」という紙袋を配っていた以外一切の情報がなかった会社で、ゲームとしては西崎秒弥さんが手がけた「うさみみデリバリーズ!!」以外はそんなに印象にないです。しかし、webラジオ屋としてのスタジオみりすは非常にクオリティが高く、児玉さとみさん、カンザキカナリさんをメインパーソナリティに、金田まひるさん、長崎みなみさん、草柳順子さん、北都南さん、一色ヒカルさん、榎津まおさん、まきいづみさん、茶谷やすらさんなど、その後のアダルトゲーム界を代表するような面々がゲストとして参加しています。この番組は、「裏系の仕事をやっている声優さんたちも、ごく普通のおもろい姉さんたちである」という当たり前のことを認識させてくれ、その後の表←→裏の垣根を低くした意味で、ラジオ史上、もっと評価されていい番組だったと思います。後期はテコ入れに失敗しまくっていた印象がありますが。がっちゅがなければ、ラジオの芝原のぞみんもきっと存在してないのです。
表と裏のボーダーという意味では君のぞラジオは避けて通れない存在なのですが、僕にはハードルが高すぎるテーマなので、この辺は偉い人に聞いてください(えー)。(※1月21日更新分でフォロー頂きました。多謝!)
次で最後になるはず。
私家版・アニラジ史考察(2)(1990年代前中期)の続きです。
前項で男女掛け合い型の基礎を築いたと書いた岩田・石田・宮村・三重野の4人ですが、石田さんがへたれキャラから美形担当への転進、宮村さんがアクション方面へ、三重野さんが企画・構成・出演を一人でこなす最強のアニラジ職人に育つなど、進路はそれぞれ。でも当時と立ち位置・スタイルが全く変わってない岩田さんはちょっと素敵というか、すげーなぁとも思います。
●やまとなでしこ時代(1990年代末~)
1997年頃、ひとつのラジオが始まります。「私たち、翔びます!」それが後に一世を風靡した、あの田村ゆかりさんと濱百合亜さんによる番組でした。あれ? そう、11期生で最初にプッシュされたのは、田村さんと堀江由衣さんではなく、濱百合亜さんだったんですね。東海ラジオなのであまりちゃんと聞いてないんですが、「わたし、田村ゆかり。日ナレの優等生です、えっへん!」「私、濱百合亜、日ナレの落ちこぼれ。うふ」「うっそー!!」「でも、株式会社日本ナレーション演技研究所から、私たち、翔びました!」という有名なCMは印象に残ってます。CMの文面を見ればわかる通り、スポンサーは日本ナレーション演技研究所+ユーメックス。その後アーツ・アイムの若手売り出し番組の定番になる「VOICE CREW」の前身となる番組と言ってもいいかもしれないですね。田村ゆかりさんによる詩の朗読コーナーとか、今なら恥ずかしがって絶対にやってくれないと思われます。
この時代はそれほど注目されていなかった田村ゆかりさんですが、表舞台に躍り出たのが、1998年の『SOMETHING DREAMS マルチメディアカウントダウン』です。冨永みーなさんと椎名へきるさんがパーソナリティを務めていた人気番組に、椎名さんにかわって加入したのが、田村ゆかりさん、堀江由衣さんのやまとなでしこの2人でした。2人は番組内の「ドリカンクラブ」のメンバーで、当時のドリカンクラブには生天目仁美さんや浅川悠さんも含まれていました。2002年に2人ラジオになっていたドリカンが終了。その後2002年10月から「堀江由衣の天使のたまご」スタート、2003年4月に「田村ゆかりのいたずら黒うさぎ」が始まってからの2人の活躍は、周知の通りです。トップクラスの人気声優がやってるラジオって意味では前世代と一緒なんですが、林原さんや國府田さんが「ラジオパーソナリティ」だったのに対して、この世代は声優・歌手としての自分をそのまま出すというか、ある意味ゆるい、ちょいと隙のある感じが空気の違いかな、と。「リスナーとお姉さん的存在」みたいな、AMラジオ特有の空気が脱臭された時代な気がします。
●webラジオ黎明期(200?~2004年頃)
webラジオ黎明期にどのような番組が放送されていたかは、残念ながら僕は詳しくありません。知っている中で最古の現存するwebラジオは2001年スタートの「美佳子@ぱよぱよ」だと思うのですが、より以前の情報をお持ちの方がいれば教えてください。webラジオ時代が本格的に訪れたのは2004年~2005年、音泉とanimate.tvが本格稼動してからだと思います。が、それ以前にいち早くwebラジオで大きな注目を集めたのが、アダルトゲームメーカー・スタジオみりすが2002年から配信開始した“アケミとマリカのがっちゅみりみり放送局”でした。当時、新興メーカーだったスタジオみりす。コミケで、みさくらなんこつさんのイラスト入りの「ファミレスゲー、出る!」という紙袋を配っていた以外一切の情報がなかった会社で、ゲームとしては西崎秒弥さんが手がけた「うさみみデリバリーズ!!」以外はそんなに印象にないです。しかし、webラジオ屋としてのスタジオみりすは非常にクオリティが高く、児玉さとみさん、カンザキカナリさんをメインパーソナリティに、金田まひるさん、長崎みなみさん、草柳順子さん、北都南さん、一色ヒカルさん、榎津まおさん、まきいづみさん、茶谷やすらさんなど、その後のアダルトゲーム界を代表するような面々がゲストとして参加しています。この番組は、「裏系の仕事をやっている声優さんたちも、ごく普通のおもろい姉さんたちである」という当たり前のことを認識させてくれ、その後の表←→裏の垣根を低くした意味で、ラジオ史上、もっと評価されていい番組だったと思います。後期はテコ入れに失敗しまくっていた印象がありますが。がっちゅがなければ、ラジオの芝原のぞみんもきっと存在してないのです。
表と裏のボーダーという意味では君のぞラジオは避けて通れない存在なのですが、僕にはハードルが高すぎるテーマなので、この辺は偉い人に聞いてください(えー)。(※1月21日更新分でフォロー頂きました。多謝!)
次で最後になるはず。
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黎明期というか元祖に近い部類のひとつではないかと思います。