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非匿名の息苦しさと、議論の生産性
 「肩書のない実名に意味はない」論というエントリーを読みました。実名と匿名の切り分け以外に、“発言における自己同一性の有無”が重要だ、というくだりがすとんと落ちてきたので、コメントしておきたいと思います。

 この、「同一性の有無」の話を見てすぐに連想したのが、インターネットが普及する以前、90年代半ばまで隆盛を誇ったパソコン通信の存在です。僕は当時「ニフティサーブ」に参加していたのですが、この頃のネットと、ネットでの議論を取り巻く状況は、まさに「半匿名ではあるが、発言の自己同一性を確保した社会」だったのではないかと思います。当時のニフティサーブでは、会員IDが発行されており、それがアクセスポイントへの認証、メールアドレス、掲示板の書き込みのヘッダと、すべてにおいて重要な役割を果たしていました。これは、当時のニフティが独占的なプロバイダーであり、コミュニティの提供者でもあるからこそできたことです(当時、大手のパソコン通信といえばニフティかPC-VANでした)。そして、大きな要素として、ニフティは会議室のログを全て保存していたのです。

 僕ら参加者はハンドルネームを用いてはいましたが、IDによって過去の発言のほとんどを捕捉されうる状況にあったんですね。結果、当時のニフティサーブは、今よりはるかに面倒くさく、そして豊潤な議論ができる環境にありました。面倒くささに関しては、まず会議室参加のハードル自体が高く設定されていました。元々、ネットが一般に普及する前のパソコン通信は、技術者やその分野に精通している参加者が多かったため、その分野に対する知識と、会議室の空気を読むスキルが参加者に求められていました。今でも「半年ROMってろ」という煽り文句が残っていますが、当時は真顔でそれを言う人も多かったのです。なにせ、当時は超低速回線で、接続に1分8円とか20円とかが電話代以外にかかっていた時代。ほとんどの人は、巡回ソフトで発言を落として周ってから回線を切り、レスを書き上げて推敲してからアップしていたのです。「書く」ことはもちろん「読む」ことにもコストがかかっていたわけですから、「教えて君」は許される存在ではなかったのです。「ググる」ことはできない時代ですから、半年ROMって経験で学べ、というわけです。

 そして、当時の議論の仕方は、今よりもずっと緻密で陰湿でした(笑)。それこそが、当時のパソコン通信の“めんどくささ”であると同時に利点でもあったのです。IDが特定されていて、ログがすべて保存されているということは、過去の自分の書き込みを全て特定されうるということです。

……とのことですが、飛影星人さんは○○月××日のxxxxxxxの書き込みで、
>>
>>
と仰っていますが、これは先ほどの書き込みと矛盾しませんか。

 のような感じで、数か月前、場合によってはもっと前の発言を引用する形でツッコミを受けることが多々あったわけです。必然、特定のIDの持ち主は、自身の発言の内容と一貫性を保つ必要があり、発言には責任が発生していたのです。インターネットが普及した2000年以後にネットを始めた人と議論をしていてストレスを感じることが多かったのは、この「一連の流れを踏まえた議論」ができない人が意外と多い(多かった)ことです。ネット上での議論になれていない人は、直前のレスに対して直感と感情で反射的にレスをすることが多く、ひどい人になると「こちらが言っていることに無意識に感化されて、同じことを言い始めているのに、本人は議論を続けているつもりだから、落としどころが消失してしまう」といった事態になります。

 以前、僕のブログのエントリーに関して「内容がおかしいので反論する」とリンクを張ってくださったサイトがあって、手ぐすねを引いて内容を読んだところ、数週間前に僕が書いた別エントリーをほぼそのまま引き写した内容で、非常に困惑した覚えがあります。ひょっとしたら高度な皮肉を込めた悪戯なのかな……と思いましたが、無意識でやっている人の場合、関わると非常にめんどくさいことになるのは経験上明らかだったので、すごい勢いでスルーしたのを憶えています。

 発言元が特定されない匿名のやりとりには、「責任」が発生しません。煽り返してすっきりしたら、翌日から別人になれる環境では、痛い目にあって議論や会話の技術を学ぶ場が存在しないのです。その点、継続的に更新されるブログや個人ニュースサイトというのは、作り手の顔がぼんやりとですが見えるのが、個人的には非常に快適です。もっとも、その分愚にもつかないことばかり書いていては、誰にも相手にされなくなってしまうという意味では、おそろしくもあるのですが。うちのような零細サイトの場合、アクセス数=個人ニュースサイトからの被捕捉数のような部分があるので、アクセス数の増減=読み手の反応ではないのが、ちょっと悩ましいところです。「この記事、アクセス数はよかったけど、読み手はみんなくだらねーと思ってたらどうしよう」的な不安は常時抱えているのですが、それぐらいの負荷はあった方が、テキストを書く上ではよいのかもしれません。
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2008/04/22 07:11 | Comments(1) | TrackBack(0) | ライター・テキスト

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コメント

Nifty辺りはまだマシと言うかフランクな感じがしましたね
fjとかのngの慇懃さと較べると

しかし、言葉の定義から理路整然と突っ込まれてた世界から非論理的な感情論に支配される世界になるとは思いも寄らなかったですわ
posted by ・w・ at 2008/04/22 11:07 [ コメントを修正する ]

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