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2018/05/25 21:52 |
非匿名の息苦しさと、議論の生産性
 「肩書のない実名に意味はない」論というエントリーを読みました。実名と匿名の切り分け以外に、“発言における自己同一性の有無”が重要だ、というくだりがすとんと落ちてきたので、コメントしておきたいと思います。

 この、「同一性の有無」の話を見てすぐに連想したのが、インターネットが普及する以前、90年代半ばまで隆盛を誇ったパソコン通信の存在です。僕は当時「ニフティサーブ」に参加していたのですが、この頃のネットと、ネットでの議論を取り巻く状況は、まさに「半匿名ではあるが、発言の自己同一性を確保した社会」だったのではないかと思います。当時のニフティサーブでは、会員IDが発行されており、それがアクセスポイントへの認証、メールアドレス、掲示板の書き込みのヘッダと、すべてにおいて重要な役割を果たしていました。これは、当時のニフティが独占的なプロバイダーであり、コミュニティの提供者でもあるからこそできたことです(当時、大手のパソコン通信といえばニフティかPC-VANでした)。そして、大きな要素として、ニフティは会議室のログを全て保存していたのです。

 僕ら参加者はハンドルネームを用いてはいましたが、IDによって過去の発言のほとんどを捕捉されうる状況にあったんですね。結果、当時のニフティサーブは、今よりはるかに面倒くさく、そして豊潤な議論ができる環境にありました。面倒くささに関しては、まず会議室参加のハードル自体が高く設定されていました。元々、ネットが一般に普及する前のパソコン通信は、技術者やその分野に精通している参加者が多かったため、その分野に対する知識と、会議室の空気を読むスキルが参加者に求められていました。今でも「半年ROMってろ」という煽り文句が残っていますが、当時は真顔でそれを言う人も多かったのです。なにせ、当時は超低速回線で、接続に1分8円とか20円とかが電話代以外にかかっていた時代。ほとんどの人は、巡回ソフトで発言を落として周ってから回線を切り、レスを書き上げて推敲してからアップしていたのです。「書く」ことはもちろん「読む」ことにもコストがかかっていたわけですから、「教えて君」は許される存在ではなかったのです。「ググる」ことはできない時代ですから、半年ROMって経験で学べ、というわけです。

 そして、当時の議論の仕方は、今よりもずっと緻密で陰湿でした(笑)。それこそが、当時のパソコン通信の“めんどくささ”であると同時に利点でもあったのです。IDが特定されていて、ログがすべて保存されているということは、過去の自分の書き込みを全て特定されうるということです。

……とのことですが、飛影星人さんは○○月××日のxxxxxxxの書き込みで、
>>
>>
と仰っていますが、これは先ほどの書き込みと矛盾しませんか。

 のような感じで、数か月前、場合によってはもっと前の発言を引用する形でツッコミを受けることが多々あったわけです。必然、特定のIDの持ち主は、自身の発言の内容と一貫性を保つ必要があり、発言には責任が発生していたのです。インターネットが普及した2000年以後にネットを始めた人と議論をしていてストレスを感じることが多かったのは、この「一連の流れを踏まえた議論」ができない人が意外と多い(多かった)ことです。ネット上での議論になれていない人は、直前のレスに対して直感と感情で反射的にレスをすることが多く、ひどい人になると「こちらが言っていることに無意識に感化されて、同じことを言い始めているのに、本人は議論を続けているつもりだから、落としどころが消失してしまう」といった事態になります。

 以前、僕のブログのエントリーに関して「内容がおかしいので反論する」とリンクを張ってくださったサイトがあって、手ぐすねを引いて内容を読んだところ、数週間前に僕が書いた別エントリーをほぼそのまま引き写した内容で、非常に困惑した覚えがあります。ひょっとしたら高度な皮肉を込めた悪戯なのかな……と思いましたが、無意識でやっている人の場合、関わると非常にめんどくさいことになるのは経験上明らかだったので、すごい勢いでスルーしたのを憶えています。

 発言元が特定されない匿名のやりとりには、「責任」が発生しません。煽り返してすっきりしたら、翌日から別人になれる環境では、痛い目にあって議論や会話の技術を学ぶ場が存在しないのです。その点、継続的に更新されるブログや個人ニュースサイトというのは、作り手の顔がぼんやりとですが見えるのが、個人的には非常に快適です。もっとも、その分愚にもつかないことばかり書いていては、誰にも相手にされなくなってしまうという意味では、おそろしくもあるのですが。うちのような零細サイトの場合、アクセス数=個人ニュースサイトからの被捕捉数のような部分があるので、アクセス数の増減=読み手の反応ではないのが、ちょっと悩ましいところです。「この記事、アクセス数はよかったけど、読み手はみんなくだらねーと思ってたらどうしよう」的な不安は常時抱えているのですが、それぐらいの負荷はあった方が、テキストを書く上ではよいのかもしれません。
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2008/04/22 07:11 | Comments(1) | TrackBack(0) | ライター・テキスト
新年更新:個人ニュースサイトと商業サイト
 新年あけましておめでとうございます、狐汁管理人の中里です。11月中旬に開設したばかりの駆け出しのブログですが、さまざまなニュースサイト様などで取り上げて頂いたおかげで、零細ブログとしては望外に多くの閲覧者様に訪問して頂きました。今年度もよろしくお願いします。

●現代の竜宮城
 コミケやサークルの打ち上げと言えば、どういうものをイメージしますか? サークルの関係者や友人、知人が居酒屋で乾杯というものが一般的だと思います。今回(大晦日~元日)、僕はゴルカムの打ち上げに参加させて頂きました。この打ち上げ兼忘年会の内容も「居酒屋で乾杯」には違いないのですが、なにせ規模と参加者が違います。前回、夏コミの打ち上げには萌え界の巨人・赤松健御夫妻が参加、奥様の赤松佳音さんがライブで新曲を披露していました。そして今回はなんと、あのモモーイこと桃井はるこさんが普通に座ってる! 他にもニュースサイト・テキストサイトのビックネームはもちろん、有名漫画家さんや業界関係者などなど、綺羅星のごとき参加者たちが並んでいます。その数、100人以上。僕もたまたま座った座席の左右が商業誌の編集さんで、あわてて営業込みの名刺交換に入ったぐらいです。これというのも幹事のかーずさんをはじめとした人々の豊富な人脈と、人柄の成せる業でしょう。

●web媒体の特性
 僕がブログを始めてアクセス解析という形で人の流れが見られるようになって、改めて実感しているのが、「個人ニュースサイトの影響力」というものです。大手サイトにリンクを張ってもらうと、途端にアクセス数が跳ね上がってびっくり…という経験をした人は多いのではないでしょうか。しかしこれは、実は個人サイトに限った話ではないのです。商業サイトにアップされるコンテンツにとっても、個人ニュースサイトによる捕捉というのは、決して軽視できない要素です。多くのアニメ・ゲーム系の企業情報サイトに共通した特徴ですが、トップページの検索性・利便性は、決してよくはありません。

 これは、コンテンツの配列やデザインよりも、速報性を重視しているからです。仮に週1、月1更新の「webマガジン」的な体裁をとるのであれば、巻頭特集から順番に、コンテンツを整理して見せ方を考えることができます。しかし、web媒体が持つ最大のメリットは「アクセスの容易性」と「速報性」です。ですから、細かい構成を考えている暇があれば、リリースや取材ネタをすぐにくみ上げて、端から上げていくほうがよほど効果が大きいんですね。しかし、結果として企業ニュースサイトのトップはずらずらずらっとタイトル文が並ぶことになります。その中には読者にとって、興味のあるジャンルとないジャンルが混在することになるので、上から順にクリックする人は、ほとんどいないんですね。実際のところ、トップページが導入口として有効に機能しているのは、Yahooなど、幾つかの例外だけと言ってもいいでしょう。

 それだけに、主要企業サイトから、読み手の属性に沿った記事をフィルタリングしてくれる個人ニュースサイトは重要なのです。「電撃オンライン」や「gpara.com」の記事であっても、“カトゆー家断絶”や“かーずSP”から見に行くことがほとんど…という人も多いはず。企業サイトにとっても、個人ニュースサイト、そして2ちゃんねるなどの大規模掲示板は、決して無視できない存在なんですね。そうすると、状況的には逆転現象がおきてきます。かつては企業サイト>一般サイトという認識が一般的だったかもしれませんが、現在は、個人ニュースサイトが企業ニュースを選別し、フィルタリングする時代が来ているのです。もちろん、これは企業サイト<一般サイトという意味ではありません。企業サイトには、「写真やインタビューなど、オフィシャルの協力が必要な情報を提供できる」「公式のリリースをベースにした情報や、公式のチェックを通った情報は信頼性が高い」というメリットが変わらずあります。これまでは送り手:企業 受け手:個人という関係だったのが、相互に補完しあう関係に変わりつつあると言ってもいいでしょう。

 しかし、“企業サイトもまた、個人ニュースサイトや、blogといったCtoCの媒体に依存している”という事実は、“企業サイトと個人の情報サイト・テキストサイトにあるコンテンツは、等価にフィルタリングされる”ことを意味します。企業サイトの記事でもつまらないものはスルーされ、個人の書いたテキストや、集めた情報でも、面白かったり、情報価値が高ければ、ネット界隈を席巻する可能性があるのです。一般には、blogの登場で情報発信が簡単になり、ユーザー発のコンテンツが力を持った、と言われています。しかし僕には、企業サイトのニュースと、個人のブログやテキストサイトを「面白さ・情報価値という尺度でフィルタリングする個人ニュースサイトの登場」こそが、位置づけの転換を促しているような気がするのです。

●再び、竜宮城へ
 先日の打ち上げがあれほど衝撃的に感じられたのは、そうした、オタク系ニュースサイト界隈の、人間と人間の繋がりというものが、目に見える形でそこに存在していたからでしょう。なにせ、座っている人間のほとんどが作り手であり、そして情報を発信する立場の人たちなのです。そんな場で盛り上がる話が、面白くないはずがない。19時頃に始まった宴は二次会、三次会に突入し、最後に解散した頃にはもう朝でした。願わくば、ああいう濃密な時間をまた過ごしてみたいものです!

おまけ 宴席で、キャラクター設定や物語論について大激論をしていた僕に、黒かーずさんから頂いた「まともに作品作ったり書き上げたことないような人間が偉そうに言うなって感じですよ」という評価が、物書き人生を全否定された感じで突き刺さっているので(※もちろん、ネタとしてのやりとりですよ)、2008年は創作分野でも、目に見える形で何かを残したいです。ちくしょう見てろ(゜ー゜)

2008/01/03 02:59 | Comments(0) | TrackBack(0) | ライター・テキスト
ライターは嘘つきなのか
ちょっと前の記事になりますが、かーずさんのところ経由で気になる記事を見つけました。「かさぶた。」さんの記事なんですが、まずこちらをお読みください。

http://gamenokasabuta.blog86.fc2.com/blog-entry-389.html

一応ゲームメディアで書いているライターの端くれとしてレスポンスさせてもらうと、かなり痛い部分を突かれたなぁ、という感触があります。具体的に言えば、「良識あるライターは嘘は書かないけれど、書くか、書かないかを選別することはある」ということです。たとえばグラフィックが素晴らしいがゲーム性はクソである……という作品があった場合、基本的には「グラフィックが素晴らしい」ことを第一に書くでしょうね、たしかに。その上で、ゲーム性の難に関してどの程度切り込んでいくかは、その媒体のカラー、路線によるでしょう。

ライターという職業に関してよく誤解されることですが、ライターという仕事は、それほどクリエイティブなものではありません。基本的に、代替が効く作業であり、執筆する内容もその媒体の方針やルールにのっとったものです。仮に、「無条件に製品を持ち上げる提灯記事を書いてください」という依頼があった場合、僕らライターにはふたつの選択肢があります。「そういうものは自分の職業意識上書けない」と仕事を断るか、仕事を引き受けた以上、全力で提灯持ちになるかです。「提灯持ちますよ~」と引き受けた仕事で、「いやいやプロとしてそうは書けない」なんて言いだすのはアマチュアであり、ごちゃごちゃ言うならそういう仕事は最初から受けるべきではないのです。

もちろん、ライターとてロボットではありませんから、自分のカラー、意見の入る余地はあります。その場合に僕が心がけているのは、ユーザーに対して嘘はつかないことです。面白くないものを「面白い!」とは書きませんし、グラフィックが糞なものを素晴らしい絵とは書きません。そうした個人の主義と、媒体のカラーや方針が衝突した時にライターが取る方法が「書くことと書かないことの選別」なのです。僕はフリーランスのライターですから、比較的自由度が高い立場にあります。どうしても自分の主義に合わない記事は断ることが出来るのですから。しかし、企業に所属する形で社員として働いている人たちを、お前たちは嘘つきだ、提灯持ちだと糾弾するのはいささか酷だなぁ、というのが正直なところ。しかし基本的に、批判的なカラーでない媒体の場合、ゲーム関連の記事は“良かった探し”になる傾向があるのは、確かなことです。ですから、読み手の側としても、商業媒体のテキストは選択する上の判断基準のひとつに留めて、その上で行間やニュアンスも読んで頂ければ、と。良心的なライターなら、一部を書かないことはあっても、まるっきりの嘘を並べ立てることはしない筈です。それではジャーナリストではないだろう…という指摘に対しては、はい、僕らはジャーナリストではなくライターです、という返答になってしまうのですが。

……と。ここまで書いてきてなんなんですが。この枠に当てはまらないのが、「テンプレート原稿」です。たくさんの商品・作品を紹介する枠の場合、ひとつひとつのゲーム・音楽・映画などを細かくチェックしていては、とても追いつかないし、採算にあわないような仕事というのは存在します。わりと頻繁に。そうした仕事の場合、メーカーから回ってきたリリースをベースにテキストを作ることになります。メーカーから回ってくる資料に短所が書いてあるはずがありませんから、どうしたって長点のオンパレードになるわけですね。

表現方法にもテンプレートというものはあって、僕個人の場合、できればこれはあんまりだから使いたくないなぁ……というものも幾つかあります。ゲーム関係で言えば、PS3ソフトを「プレイステーション3ならではの映像クオリティ」と評したり、Wiiソフトを「Wiiならではの直感的な操作」と評したりですね。直感的な操作、というのを体系立てて説明できる人がどれぐらいいるでしょうか。でも、なんとなくニュアンスが伝わりそうな便利な言葉として頻繁に使われています。

ゲームライター仲間との笑い話で最近盛り上がったのが、「Wii版の『上海』、お前ならどう紹介する?」という話。案の定、どこのサイトも(おそらくメーカーリリースにそう書いてあるのでしょう)“Wiiならではの直感的な操作で「上海」が楽しめる”て書いてあるんですけどね。読めば読むほど、上海でWiiならではの直感的な操作……て、ちょっと面白くありませんか。でも、定められた文字数を埋めることが仕事のライターにとって、定型テンプレートの誘惑ってのは、案外抗いがたいものがあるんですよね。そもそも、ライター個人の個性が求められる仕事なんて、ごくごく限られますから。

2007/11/19 14:15 | Comments(0) | TrackBack(1) | ライター・テキスト

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