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2024/04/16 17:59 |
『咲-Saki-』個人戦の話~デジタルは本質的につまらない
近代麻雀漫画生活さんにのっかって僕も書いてみます。

 アニメ版『咲-Saki-』のオリジナル展開である個人戦が相当に賛否両論なみたいです。僕が今夏一番面白いアニメと信じて疑わない『咲-Saki-』ですが、原作準拠の県大会が終了後、オリジナルキャラの南浦を交えての個人戦がスタート。少ない話数の中で、久部長と福路キャプテンの邂逅に力を入れて描いたり、おまけ漫画で描かれた龍門淵のファミレス話が映像化されたりと非常に力が入ったものでした。部長対キャプテンの牌譜とか、相当力入ってますよ、アレ。

 そんななか、個人戦で勝ち残ったのは、風越の福路キャプテン、清澄の和、咲でした。主人公組が個人戦で残ったことに対する批判が結構出ているようですが、ただこれ、制作スタッフが凹む種類の批判ではないような気がするんです。『咲-Saki-』は清澄だけでなく、ライバルの各校にも魅力的なキャラクターが配され、それぞれに負けられない理由がある……ということを丹念に描いた作品です。その作品で、主人公格の2人が勝ち進んだことに対する不満が(ライバル校の選手の活躍を見たい気持ちや、彼女たちへの思い入れから)吹き出すというのは、制作側からすればガッツポーズな出来事だと思います。

 ただ、制作側は何考えてんだ! という意見に関しては、仮に第2期があって全国個人戦が行われる場合、咲と和がいなくてどうすんのよ、と。『咲-Saki-』の大きな軸として咲と和の親友であり、ライバルであり、の関係があるのは動かせるはずもなく。今回の個人戦はあくまでも番外の「夢の対決」だからできたことであり、ストーリーの本筋として動かすなら和、咲が直接相対する可能性は必須の要素でしょう。ドライな言い方になりますが、ライバル校的な存在は全国編でも大勢登場するのです。

●デジタルは物語的にはつまらない
 さて、その上で。大半の人はそんなことはわかった上で、それでも文句を言わずにいられないのだと思います。不満の根としてあるのは、“デジタルは闘牌描写の上ではつまらない”という動かしがたい事実だと思います。

 オカルトvsデジタル。それはここ10年の麻雀漫画の中で繰り返し語られてきたテーマです(それ以前の麻雀漫画(劇画)は、ほぼオカルトが支配する世界)。片山まさゆき先生という天才が切り開いてきたテーマと言ってもいいかもしれません。

 いわゆるオカルトとは、数字だけでははかれない「流れ」などを重視する打ち方、考え方です。代表的なものには、安藤満プロの“亜空間殺法”や、土田浩翔プロの“トイツ理論”、金子正輝プロの“牌流定石”などがあります。ミスター麻雀・小島武夫プロの魅せる麻雀なども広義のオカルトでしょう。これに対し、確率論に基づいた打ち方をデジタルと言います。素人が一から麻雀を勉強するなら、明らかにデジタルが優れています。が、エンターテイメントとして、お金を取るプロや、コミックなどのエンターテイメントの世界では、オカルトには、デジタルにはない色気と魅力があります。

 それは、エンターテイメントには読み手の想像力との勝負が求められるからです。デジタルの正着と次善の手の差は、往々にして1%、2%の確率の世界です。そこに物語的なカタルシスはほとんどありません。思いも寄らぬ奇手から大逆転を掴み取る、というのはオカルトの特権なのです。それでもこの10年は、デジタルは優勢でした。それは、麻雀界というものが、あまりにもオカルトに偏っていたからです。そうした、「既存の価値観に対するレジスタンス」として、アンチオカルトのデジタルのは魅力と価値があったのです。

 しかし、デジタリストたちの啓蒙により、デジタル的な考えは当たり前の基本になりました。そうなると、読者にもわかる当たり前の手筋を追うだけのデジタルは、物語的には面白みに欠ける存在になってしまったのです。そうなると、デジタルの存在価値は「無駄のなさから来る強さ」しかありません。だからこそ、和には“全中チャンピオン”という肩書きが必要だったんですね。デジタルの強者にネット麻雀で箔をつけるのも最近の流行です。龍門淵透華が一番輝いたのが、デジタルを外れて目立ちに行って、倍満をツモった場面だったのは皮肉な話です。

 さて、こうしたデジタルの陳腐化が進んだとき、本格闘牌漫画の旗手である片山まさゆき先生がどうしたか。「デジタル」と「スーパーデジタル」、早いだけの似非デジタルと期待値を厳密に追求するデジタルといった、デジタル内部での対立構造による尖鋭化をはかったのです。そうした流れで出てきた発展形のひとつに、『牌賊オカルティ』理積港のアイススキャンがあります。彼の能力は、デジタルな読みをさらに突き詰めた結果、相手の手牌や山牌などを絞り込んでいき、卓上を支配する……そう、福路キャプテンの魔眼そのものです。デジタルを物語になる必殺技として昇華させた福路キャプテンがいる中で、「普通のデジタル」の和が一枠を占めるのは、闘牌的に見るとちょっと物足りないんですね。

 ですが目立った必殺技がないからこそ、和は勝ち続けることでしか存在価値を証明できません。また、和はキャラクターとしての魅力はありますし、前述の通り『咲-Saki-』が咲と和の物語であるのは動かない前提です。ですから僕の考えとしては、決勝進出は和しかなく、福路キャプテンの全国進出がスタッフからの精一杯のファンサービスだと思うのです。

 ただ、“もう1人”に、ステルスモモでも池田でもかじゅ先輩でも部長でもなく、福路キャプテンが残ったことに、個人的には物語的な可能性を感じます。化け物たちに囲まれて、その奇跡を目の当たりにしながら「そんなオカルトありえません」だけで通すのでは、和というキャラクターはそこで止まってしまう気がするのです。全国で、デジタルが戦うための何か。デジタルを超えたデジタルの可能性…そうした“何か”を和に伝えうるキャラクターが(デジタルの発展系である)福路キャプテンではないかと思うのです。2期があるのか、今後の『咲-Saki-』の展開がどうなるのかはわかりませんが、今は接点のない福路キャプテン×原村和にも個人的には注目です。
 
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2009/09/16 18:41 | Comments(1) | TrackBack() | 麻雀

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コメント

おもしろいブログですね。また来ます。
posted by 真面目出会い URL at 2011/08/20 02:57 [ コメントを修正する ]

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