児童ポルノ規制の一環として、アニメや漫画、ゲームの表現も「準児童ポルノ」として違法化しよう、というキャンペーンが話題になっているようです。この類の、「オタク層をターゲットにした批判・規制・弾圧」に対するコメントというのは、非常に難しいものがあります。それは、この類の議論が「オタクを攻撃する側」と「弾圧されるオタク」という、2つの決まった立場の人々による論争だからです。
1980年代の宮崎事件以降、オタクは多かれ少なかれ、石もて追われる対象でした。世紀をまたいでずいぶん過ごしやすくなったと思っていましたが、また来たか……と感じているおっさんも多いと思います。こうした周期的にやってくる弾圧の大波に対して、オタクはスクラムを組んで理論武装することで生き延びてきました。「表現の自由を守れ」「二次元エロに親しんでいる人間が性犯罪に走りやすいという統計データは存在しない」といったテンプレートですね。そうした姿勢で一致団結して、風雨に耐えてきたのです。オタクというのは、世間から迫害される世界であるからこそ、結構同調圧力が強いです。わりと、みんなに同じ萌え、同じ思想を求める傾向があります。ので、そこから外れる人間は敵にカテゴライズされることが多いんですね。
そこで少し難しくなるのが、このような規制話の時。僕は実は、ある程度の規制・線引きは必要だと思っています。最近の若い人にはわかりにくいと思いますが、二次元エロにおける以前の消しは、ベタで塗りつぶしたような、戦後の教科書のようなテイストでした。それが、宮崎事件以後20年を経て、ごく一部にトーンで細線をかぶせればおっけー、のような雰囲気になっています。秋葉原も一時期は、表通りにエロ看板がバンバン並ぶような状態でした。基本的に、こうした欲望を煽る産業は、放っておくとどんどんだらしなく、過激になっていくものなのです。ですから、ある程度のところでの線引きは必要だと思っています。グレーゾーンの中で許容されているもの……たとえば版権物の同人誌や、ニコニコ動画における権利者動画などは、グレーゾーンのまま放置しておくと、消費者の間ではどんどん慣れが進行し、誤認した「権利」の上であぐらをかくようになります。僕は規制されるのは嫌ですが、規制は必要だという矛盾した心情を抱えているので、このような議論、特に二元論のどちらかに与することを求められるやりとりではコウモリになってしまうんですね。
僕の立場は……と言えば、「規制の必要はわかる。でも嫌だ」ということになります。もちろん、それは誰も動かせない言葉です。現実に言葉を武器として、運動として現在の環境を守るのなら「思想・心情・言論の自由」といった、洗練された言葉のナイフを持つべきなのでしょう。ただ、僕はそうした、「二者がお互いの立場を決め打ちした、決して交わらない言葉の応酬」が好きになれないんですよ。ので、双方の意見を折衷した、
・ゾーニングの徹底により、子供やそれを好まない人の目に、二次えろす産業が触れないようにするべき(秋葉原では一部店舗で、ゾーニングが強化されている流れを感じます)
・何らかの規制は必要だが、無知な市民団体や一部の政治家が、イメージと偏見に基づいた規制を行うのは単なる弾圧。かつてソフ倫が生まれたときのように、事情をよくわかっている業界内部で、適切なチェック機構を働かせる道を模索するべき
といった無難な落としどころに行ってしまうんですが。規制が必要だといったところで、僕自身は「エロい単語の頭に“こども”とつけるとなんだか興奮するよね」とか言われると「む、深い!」などと唸ってしまう人間なので、最終的には規制はNO、と言わざるをえません。ただなんというんでしょうか、欲望に対して際限なくだらしないのはみっともない感じがして。「規制は必要。わかる。なんとかしなきゃ」……「でも嫌だ!!」というのが、慎み深く、クソの役にも立たないオタクとしての僕のスタンスです。
1980年代の宮崎事件以降、オタクは多かれ少なかれ、石もて追われる対象でした。世紀をまたいでずいぶん過ごしやすくなったと思っていましたが、また来たか……と感じているおっさんも多いと思います。こうした周期的にやってくる弾圧の大波に対して、オタクはスクラムを組んで理論武装することで生き延びてきました。「表現の自由を守れ」「二次元エロに親しんでいる人間が性犯罪に走りやすいという統計データは存在しない」といったテンプレートですね。そうした姿勢で一致団結して、風雨に耐えてきたのです。オタクというのは、世間から迫害される世界であるからこそ、結構同調圧力が強いです。わりと、みんなに同じ萌え、同じ思想を求める傾向があります。ので、そこから外れる人間は敵にカテゴライズされることが多いんですね。
そこで少し難しくなるのが、このような規制話の時。僕は実は、ある程度の規制・線引きは必要だと思っています。最近の若い人にはわかりにくいと思いますが、二次元エロにおける以前の消しは、ベタで塗りつぶしたような、戦後の教科書のようなテイストでした。それが、宮崎事件以後20年を経て、ごく一部にトーンで細線をかぶせればおっけー、のような雰囲気になっています。秋葉原も一時期は、表通りにエロ看板がバンバン並ぶような状態でした。基本的に、こうした欲望を煽る産業は、放っておくとどんどんだらしなく、過激になっていくものなのです。ですから、ある程度のところでの線引きは必要だと思っています。グレーゾーンの中で許容されているもの……たとえば版権物の同人誌や、ニコニコ動画における権利者動画などは、グレーゾーンのまま放置しておくと、消費者の間ではどんどん慣れが進行し、誤認した「権利」の上であぐらをかくようになります。僕は規制されるのは嫌ですが、規制は必要だという矛盾した心情を抱えているので、このような議論、特に二元論のどちらかに与することを求められるやりとりではコウモリになってしまうんですね。
僕の立場は……と言えば、「規制の必要はわかる。でも嫌だ」ということになります。もちろん、それは誰も動かせない言葉です。現実に言葉を武器として、運動として現在の環境を守るのなら「思想・心情・言論の自由」といった、洗練された言葉のナイフを持つべきなのでしょう。ただ、僕はそうした、「二者がお互いの立場を決め打ちした、決して交わらない言葉の応酬」が好きになれないんですよ。ので、双方の意見を折衷した、
・ゾーニングの徹底により、子供やそれを好まない人の目に、二次えろす産業が触れないようにするべき(秋葉原では一部店舗で、ゾーニングが強化されている流れを感じます)
・何らかの規制は必要だが、無知な市民団体や一部の政治家が、イメージと偏見に基づいた規制を行うのは単なる弾圧。かつてソフ倫が生まれたときのように、事情をよくわかっている業界内部で、適切なチェック機構を働かせる道を模索するべき
といった無難な落としどころに行ってしまうんですが。規制が必要だといったところで、僕自身は「エロい単語の頭に“こども”とつけるとなんだか興奮するよね」とか言われると「む、深い!」などと唸ってしまう人間なので、最終的には規制はNO、と言わざるをえません。ただなんというんでしょうか、欲望に対して際限なくだらしないのはみっともない感じがして。「規制は必要。わかる。なんとかしなきゃ」……「でも嫌だ!!」というのが、慎み深く、クソの役にも立たないオタクとしての僕のスタンスです。
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