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2024/04/20 01:54 |
必ず最後にオタク勝つ
エロゲーで泣くオタクが、ケータイ小説を嘲笑う」の続きになります。

●オタク(笑)vsスイーツ(笑)?
 前回の記事は結構反響が多かったのですが、反応としては「オタク」と「スイーツ」を対立構造として捉え、“オタクがスイーツ(笑)やケータイ小説を叩くというが、その前にあいつらはオタ的なものを叩いてたじゃん”“ラノベやエロゲをあざ笑ってた連中が、ケータイ小説みたいな物に飛びついてるんだから、笑いたくもなる”という反応が非常に多かったです。

(それ以外にCLANNADはエロゲじゃない、という指摘もあったのですが、この場合“ケータイ小説を罵倒する人の中での最上位のテキストが、エロゲーやラノベに類するものである”ことのサンプルなので、エロゲであるか、ないかはそれほど重要とは考えていません。今回のテキスト的な位置づけにおいては、AirやKanonと等質だからです。このあたりは、リトバス18禁版発売を例に挙げるまでも無く明瞭だと思います。)

 反論的なコメントとして挙げられたのは「先に殴ったのはあいつらだ」的なものが多く、僕の言葉で言い直せば、「抑圧されたオタクにとっての、自分たちを抑圧する“世間”の象徴がケータイ小説や韓流に飛びつく女性層・TBSなどのメディアであり、だからこそ、それらに対する批判・罵倒はヒートアップしやすい」となります。暴力的なDQN叩きが炎上しやすいのも同根かな。大分ニュアンスが変わって感じられると思うのですが、それは僕が、ここ1年~2年にオタク叩きのブームなんて“なかった”と考えているからです。

●オタク叩きはあったのか
 “オタク叩きブーム”として挙げられているのは、おそらく電車男以降のアキバブームに端を発する露出の増加でしょう。声優の歌番組出演では、意図的に観客のキモさを強調しようとする演出指導が入っていますし、バラエティでのオタ芸ネタ・ことさらに痛いオタクのさらしなども非常に多くあります。そんな中でもTBSはやはり別格で、「職業はコンビニバイト? ご立派ですねぇ」など、僕らの心を逆撫ですることに長けているようです。

 しかし、メディアにおける“オタク”の扱いは、ここ数年非常に好意的だ、というのが僕の考えです。オタクに対する世間の風当たりが一番強かったのがいつかと考えると、1989年頃だったと思います。当時、TBSの(またTBSか)女性アナウンサーがコミケ会場を指し、「皆さん、ご覧ください! ここに10万人の宮崎勤がいます!」と絶叫した話を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。当時、幼女連続殺人事件の犯人の自室からアニメやアイドル、ロリコン、プロレスなどに類する雑誌・ビデオなどが大量に発見されたこともあり、世間ではオタク=性犯罪者予備軍という見方が一般的でした。10万人の宮崎勤発言に関しては、ネットが普及していない頃なので検証が難しいですが、「そうした発言があってもおかしくはなく、また許容されうる時代」だったのです。

 1980年代から“オタク”的なものに対する世間の反応は冷たく、その状況は今日まで続いています。つまり、今現在10代~30代前半のオタクにとっては、オタクに対する世間の風当たりがキツいのは人生を通して日常的なものであり、一過性のブームではない、ということです。しかし、95年~97年頃のエヴァブーム、昨今の電車男ブーム、アニメパチスロブームなどを契機に、オタクに対する逆風は、かなり弱まっているのではないでしょうか。

 もちろん、バラエティ番組などにおけるオタクの扱いが、十年一日なのは確かです。しかしこれは、世間の評価・見方が変化していないからでは「なく」、単にバラエティを含む民放の番組制作のノウハウが、10年前から進歩していないというだけのことだと思います。そういう、さらして笑いにする番組しか作れないのです。NHKなどでは、既にサブカルチャーとしてのオタクに対するスタンスはかなり変わってきています。

●相対的に増加するオタク業界のコンテンツ力
 しかし、こうしたテレビ業界の旧態依然とした“オタク(笑)”的スタンスは、近い将来に変わらざるを得なくなると思います。きっかけは、2010年頃の地デジ切り替え……いえ、アナログ放送停波です。すでに兆候は現れていますが、民放のテレビ番組はつまらなくなっています。完全に漫画原作頼りのドラマ、野球放送なども視聴率低迷が叫ばれていますが、なんのことはなくテレビ全体の視聴率が暫減傾向にあるのです。制作側の人材の枯渇ということもあるでしょうが、バブル時代に比べて番組制作予算が明確に削られている訳ですから、いくばくかの水準低下は避けられないでしょう。そこに来ての、アナログ停波。既に、テレビはほとんど見ない、という人も、結構増えているのではないでしょうか。そこに安価なテレビがあり、無料で放送が流れていれば、垂れ流している人はいるでしょう。しかし、新型の高価なテレビに買い換えてまで地上波を見るか? といえば、意外と、“ならいいや”と考える人は多いと思うのです。

 もちろん、それでテレビが廃れるようなことはありませんが、既存の大手テレビ局というメディアのパワーが減少することは間違いないでしょう。だって、地デジになって番組が面白くなると思いますか? BSやCSでの地上波局が手がけるチャンネルがどれほどくだらなく、中身のないものであるかは、ご存知の方も多いでしょう。ハードの買換え需要を当て込んだ、ユーザーの需要のない媒体の切り替えが、スムーズにうまくいくことはないでしょう。そして、アナログ停波後に予想されるのは、CSやケーブルテレビが勢力を伸ばすことです。米国型の多チャンネル時代に突入すれば、既存の大手局の影響力がさらに減少するのは言うまでもありません。

 さて、ここで本論に戻ります。この脱線の意味を説明すると、2010年以後、テレビメディア業界では、CD業界と同じことが起こるのではないか、と僕は考えているのです。CD業界では、最近オリコンの上位に、I've系の歌手や声優がランクインすることが珍しくなくなりました。これは、アニメ系のCDがものすごく売り上げを伸ばしているからでは「なく」、周囲の一般的なJPOPが全く売れなくなったために、相対的にランキングが上がっているのです。10年ぐらい前、林原めぐみさんはアルバムを27万枚(キングレコード発表では40万枚以上。当時はアニメ流通が集計から外されていたので説得力はあります)を売り上げていましたが、今ほどの大きなインパクトは社会に与えていませんでした。周りに、100万枚、200万枚、300万枚を売り上げるアーティストがゴロゴロいたからです。その後、相対的にアニメ系楽曲の番付・位置づけが上がったことで、既存の歌番組等も、アニソン・声優ソングを無視できなくなっているのは、皆さんご存知の通りです。

 以前、「アイドルマスターというコンテンツの特異性」という記事で、“関連CDで10000枚を安定して売り上げる強さ”について書きましたが、オタク系商品の強みとして、「世間全体に届く大ヒットにはならないが、一度掴んだ固定客は必ず買ってくれる」というものがあります。時代の流れ・空気が変わっても、オタクはそれには流されず(オタク界の流行には流されますが)にがっちりついてくるんですね。そして、チャンネルが細分化し、大手民放が力を落とすとどうなるでしょうか。1万人なら1万人、10万人なら10万人の固定客を持ったニッチなコンテンツが、相対的な重要性を増してくると、僕は考えています。先行しているアメリカでは、『鋼の錬金術師』なども放送するカートゥーンネットワークのアダルトスイムチャンネル(アニメ系)が非常に好調です。

●電通転べば皆転ぶ
 現状、日本のほとんどの媒体は、広告代理店の影響から逃れることは出来ません。現在は大手民放に大きなエネルギーを注いでいる大手広告代理店ですが、多チャンネル時代で番組視聴のスタイルが変われば、自然ビジネスのスタイルを変えていく必要が出てきます。そうなれば、もはや広告代理店が「確実に計算でき、そしてそれなりの市場規模を持っている」オタク業界に対し、ネガティブな情報を発信するメリットは何もありません。そうなれば、既存のテレビ局の放送方針もコロリと変わりますし、周囲に流れる“情報”が変化しても、それに流されない自我の強さを、いわゆるスイーツ層が持っているとも思えません。

 宮崎アニメは僕は大好きですが、宮崎駿はやっぱりロリコンですよ。ハリーポッターも基本はラノベフォーマットです。昔指輪物語を読んでいる奴は完全にオタク扱いでした。オタアニメもパチスロになれば市民権です。どういうことかというと、一般層の多くが気にしているのは「人目」なのです。オタクと思われてつまはじきにされたくない……という心理が大きいんですね。だから、「これは大丈夫」という社会のお墨付きが与えられれば、本質的にオタク的コンテンツに対する抵抗感は少ないのです。幸い-これを幸いと言っていいのかは微妙ですが-、オタク業界のコンテンツは、あまり頭を使わなくても楽しめる方向に行っています。オタク忌避の空気が薄れるにつれオタクが増え、それがさらに発言力を上昇させる……という循環も、絵空事ではないと思います。

 下品な言い方ですが、数は力、お金を出す消費者であることは力です。共有ソフトでダウンロードしまくっている人は、得をしているつもりで、緩慢に自分の首を絞めているのです。このあたりは、昔の選挙制度に似ていますね。お金を出しているから発言力・影響力がある。そして、投票(購買行動)は義務ではなく、権利なのです。

 僕らの子供の世代は、もう少し胸を張ってオタクをやれるといいですね。
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2007/12/21 15:02 | Comments(6) | TrackBack() | 雑記(アニメ系)

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コメント

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071218-00000008-maiall-ent

こういう記事が出てくるあたり、おっしゃる通りなんだなあと
思いました。
オタクという言葉が、「ちょっとマニアック」という意味に
蔑みの意味から変わりつつある、と感じています。

ただやっぱり、マスメディアは「失笑ネタ」にオタクを
使うのは、これからも変わらない気がします。
「世間一般」からズレていないオタクはオタクじゃない。
日本人の国民性として、「比較対照を作らないと落ち着かない」
特性がある以上、永遠にオタクはネタであり続けるのでは。

オタクに違和感がなくなる時は、一億総オタクになった時ですかね(苦笑)
posted by umeblabk at 2007/12/21 19:27 [ コメントを修正する ]
2000年以降はのテレビ番組は報道や特番が多くなった気がします。
お笑い番組も40~50代の芸人が本数を持っているし、芸能人が小粒になってなあと思います。だから俳優や歌手もその傾向がありますな。

声優オタクの私としては、地上波よりもBSやCSに専門番組をつくりそういう場にもっと出演してほしいです。地上波はみんなに近すぎていろいろなお約束が剥がれてきてしまい、見えていけないものや聞いてはいけないことが表面化して怖いです。
posted by yui at 2007/12/21 20:56 [ コメントを修正する ]
どーも、しょこたんの紅白が「空色デイズ」に決まってまずは一安心している猿橋(仮名)です。

確かに宮崎勤事件当時と比べたら、「オタク叩き」は随分減ったと思います。ただ、宮崎事件を経験してる世代のオタクにしてみれば、「オタク叩き」がトラウマになっていて、小さなことにも過敏に反応する傾向があるんじゃないでしょうか。

2chなどで一部の人がしょこたんを「偽ヲタ」とか「ヲタに媚びてる」「ヲタを利用した売名」などと叩いていますが、要するに、しょこたんみたいなオシャレで小奇麗で、世間にも受け入れられてる奴がヲタを名乗るな、みたいな屈折した感情があるのかなと思います。せっかくしょこたんがヲタのイメージ改善に大きく貢献してるのに、なんで自分で自分の首をしめるようなマネしてるんだろうとか傍から見てて思いますが、そういう冷静な判断ができないほど深刻なトラウマを抱えているのでしょう。社会的弱者であるヲタの拠り所である趣味のアニメやゲームが一般人に受け入れられても、社会的弱者である自分たちまでは受け入れてもらえないという恐怖心があるのかもしれませんね。
posted by 猿橋 at 2007/12/22 01:22 [ コメントを修正する ]
こんにちは、ケータイ小説のエントリーから来ました。
なんだか愛のある語り口で心地よい文章ですね。

オタが他人から白い目で見られたり周囲から浮いてしまったりするのは、趣味や嗜好の問題というより当人の性格や考え方に問題があるとわたしは思っています。
世間で上手くやっていけるタイプの人間は、間違いなくオタといっても良い趣味を持っていても何の問題もなく社会に溶け込めていますし、胸を張れるかどうかには、実体のない「世間」の評価はあまり関係ないのではないのではないでしょうか。

各メディアでのオタクの扱い、確かに良くなってると思いますが、何かを認められたり時流に乗ったわけではなく、単純にメディアがお金の臭いをかぎつけて取り扱い方を変えただけといった印象で、さんざん世間の価値観というわけのわからないものに振り回されて生きてきた身には、そう感じました。
posted by まぞふ at 2007/12/26 21:59 [ コメントを修正する ]
「かーずSP」さんから、タイトル名に惹かれてやってきました。
私もブログを運営してる側として『こんな文章が書けれれば良いなー』と、思わず思ってしまいました。

と、前説はここまでにしておきます。書いてたらそれだけで文字数一杯になりそうですから(^^;

ここから本題。

私は『人は何かしらのオタクである』と思ってます。
こういうと、“一般人”と思ってる方々は脊髄反射の様に「それは違う!」と反論してくると思いますが、では“オタク”とは何なのでしょうか?
そう考えたとき、“オタク”というモノの意味があまりにも広く、そして薄い。まるで、人間や動物やらを纏めて“生き物”と言う詞(ことば)で縛ってるのと同じように。
だから、別に『オタクであること=“肩身が狭い”』と思う必要は無いと思います。

が、しかし。
私たちが生きる“社会”には“理”という物があり、その中で付き纏う物が“世間の目”等と言った柵、“輪から外れたくない”という己の想いの楔であり、それ故に“オタクであることを認めたくない”意識が働くのではないかと・・・・想ったりします。

まぁ、オタクに対して良いイメージが無かった時代から言えば、明らかに風向きは変わってる気はしてます。芸能人のオタク曝露とか、今までだと考えられなかったですしね(^^;

最後に、私はオタクに対するイメージで一つだけ我慢なら無い事があります。
それは、“モラルや道徳性に欠ける人”が“オタク”と思われる風潮です。必ずしもそうではないのにも拘らず、“そうだ”と決め付けた報道などには腹が立ったりするものです。

一部のマナー(またはモラル)が守れない喫煙者によって、ルールを守っている愛煙家の肩身が狭くなる現状と同じだと思うんですけどねぇ・・・・。規模の大小じゃなく、意味合いとして・・・・。

そこの所が改善されない限り、外(一般人)と内(オタク)での印象も平行線を辿るのだと思います。
長文失礼しました。
posted by 黄昏 at 2008/01/11 03:38 [ コメントを修正する ]
いいくろ
posted by れっくれ at 2008/03/06 03:07 [ コメントを修正する ]

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