“ゲーム脳”と聞くと、大抵のゲームファン、オタク層は顔をしかめるのではないでしょうか。元々“ゲーム脳”とは2002年に、日本大学文理学部体育学科の森昭雄教授が提唱した概念で、「ゲームに熱中する人間は認知症患者と同じ脳派パターンを示し、大脳皮質の前頭前野の活動レベルが低下、思考が衰える」といったものです。彼の著書のデータの信憑性や提示の仕方には各方面から批判がされており、ゲームに批判的な層にとって心地よい疑似科学の類である、という評価が広がっています。濃い目のネットユーザーなら、「ゲーム脳(笑)」という反応が一般的でしょう。
このような議論がされる場合、ネットのオタク系コミュニティにおいては、ゲーム脳論者=情報に流されやすい馬鹿、といったレッテリングが多く見られます。性的要素や犯罪傾向の強いアダルトゲームに関しても、論調は変わりません。
しかし、殺戮を繰り返すゲームや、性犯罪をテーマにしたようなゲームは、本当にプレイヤー、特に青少年に影響がないのでしょうか? 僕は、影響は大アリだと思います。僕の意見を一番ストレートに代弁してくれている作品は、うめさんの「東京トイボックス」です。この作品で、ソリダスワークスの仙水局長は、「人様の人生の時間を何十時間も拘束しておいて、後に何も残らないようなものは作っていない」というニュアンスの発言をしています。物語性のある作品を何時間、何十時間。オンラインゲームであれば何百時間、何千時間とプレイして、プレイヤーに対する影響が何もない、なんてことがあるでしょうか。アクション映画を見終わった後、気が大きくなってカンフーのポーズをとった覚えはありませんか? 人生を変えるような小説・本は1冊もありませんか? メディアを問わず、没入型のメディアは少なからず、その人の思想・信条──そしてその核である脳に影響を与えるはずです。
リアルに人間を斬り殺すゲームを、子供に1日10時間ずつやらせてみました。成長上何らかの影響があるのは、当然じゃないですか? 犯罪的要素があるアダルトゲームを例にするなら、たとえば覗き見を趣味にしている教授が、毎日盗撮・痴漢物のゲームをプレイしていたらどうなるでしょうか。その教授は疑似体験の反復によって、心理的障壁が低くなって、実際に性犯罪を犯してしまうかもしれません。あるいは、ゲームプレイによって鬱屈した性衝動を吐き出すことによって、現実世界で実行に移すことを自制できるかもしれません。いずれにしても、まったく影響がない、なんてことはありえないのではないでしょうか。僕は基本的に、画一的な“ゲーム脳”論者に代表される規制派に与する立場ではありませんが、「規制されたら困る」という立場に立って、“ゲームが与えうる影響”に関して、ただ嘲笑して流す態度というのも、それはそれで不誠実なのでは……と思います。
子供がゲームに触れる時間は規制すべきだ……という意見を最初にオープンに発した人物って誰だろう、と考えると、「ゲームは1日1時間!」と朗らかに語っていた名人がいたのを思い出しました。そこで以前、ご本人に「最近のゲームはプレイ時間が伸びていますが、今でもゲームは1日1時間とお考えですか?」と聞いてみたことがあります。その時の答は、「君たちは好きにすればいいんだよ。高校生ぐらいかな、そこからは自分で判断すればいい。でもね、子供はゲームは1日1時間。子供はね、外で友達と遊ぶべきだよ」というものでした。んー、α波がどうこう言うより、よっぽどストレートで説得力があるような気がします。
このような議論がされる場合、ネットのオタク系コミュニティにおいては、ゲーム脳論者=情報に流されやすい馬鹿、といったレッテリングが多く見られます。性的要素や犯罪傾向の強いアダルトゲームに関しても、論調は変わりません。
しかし、殺戮を繰り返すゲームや、性犯罪をテーマにしたようなゲームは、本当にプレイヤー、特に青少年に影響がないのでしょうか? 僕は、影響は大アリだと思います。僕の意見を一番ストレートに代弁してくれている作品は、うめさんの「東京トイボックス」です。この作品で、ソリダスワークスの仙水局長は、「人様の人生の時間を何十時間も拘束しておいて、後に何も残らないようなものは作っていない」というニュアンスの発言をしています。物語性のある作品を何時間、何十時間。オンラインゲームであれば何百時間、何千時間とプレイして、プレイヤーに対する影響が何もない、なんてことがあるでしょうか。アクション映画を見終わった後、気が大きくなってカンフーのポーズをとった覚えはありませんか? 人生を変えるような小説・本は1冊もありませんか? メディアを問わず、没入型のメディアは少なからず、その人の思想・信条──そしてその核である脳に影響を与えるはずです。
リアルに人間を斬り殺すゲームを、子供に1日10時間ずつやらせてみました。成長上何らかの影響があるのは、当然じゃないですか? 犯罪的要素があるアダルトゲームを例にするなら、たとえば覗き見を趣味にしている教授が、毎日盗撮・痴漢物のゲームをプレイしていたらどうなるでしょうか。その教授は疑似体験の反復によって、心理的障壁が低くなって、実際に性犯罪を犯してしまうかもしれません。あるいは、ゲームプレイによって鬱屈した性衝動を吐き出すことによって、現実世界で実行に移すことを自制できるかもしれません。いずれにしても、まったく影響がない、なんてことはありえないのではないでしょうか。僕は基本的に、画一的な“ゲーム脳”論者に代表される規制派に与する立場ではありませんが、「規制されたら困る」という立場に立って、“ゲームが与えうる影響”に関して、ただ嘲笑して流す態度というのも、それはそれで不誠実なのでは……と思います。
子供がゲームに触れる時間は規制すべきだ……という意見を最初にオープンに発した人物って誰だろう、と考えると、「ゲームは1日1時間!」と朗らかに語っていた名人がいたのを思い出しました。そこで以前、ご本人に「最近のゲームはプレイ時間が伸びていますが、今でもゲームは1日1時間とお考えですか?」と聞いてみたことがあります。その時の答は、「君たちは好きにすればいいんだよ。高校生ぐらいかな、そこからは自分で判断すればいい。でもね、子供はゲームは1日1時間。子供はね、外で友達と遊ぶべきだよ」というものでした。んー、α波がどうこう言うより、よっぽどストレートで説得力があるような気がします。
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所詮「ゲーム脳」は悪影響絶対論者の都合のいいプロバガンダに使われているに過ぎませんし、「都合がいいと思うから」それに踊らされ彼らの尖兵となる人間は、やはり愚かである事に変わりありません。
ゲームの影響について憂慮されるのはかまいませんが、ゲーム脳の否定がさもゲームの影響の否定のような形で書いてしまうのは、そういうつもりはなくても腐った詭弁者と同レベルの胡散臭さになってしまうので気をつけたほうがいいですよ。(「しかし、殺戮を繰り返すゲームや、性犯罪をテーマにしたようなゲームは、本当にプレイヤー、特に青少年に影響がないのでしょうか?」あたりね。さらにアダルトゲーム云々言うのなら、何のための18禁レーティングなのかと。成人を信用できないのなら参政権などを国民全員に与えるな、って事ですよ)
ゲーム脳の間違いと、ゲームプレイによる影響、さらに言えばその結果形成された人格や性癖をいかに制御するかは別の問題でっせ。だれもゲームによる影響はないとか言ってる人はいません。ただ「影響があるから消せ」と「影響は教育によってコントロールされるべきで、影響の発生そのものを否定することは人の自由を侵害する」が対立しているだけです。