2007年も末を迎え、今年一番流行した新属性といえば、ツレンデでもソレンデでもなく、ヤンデレだと思います。よっぴー、我妻由乃、壊れたまーちゃん、言葉様と枚挙に暇のないヤンデレさんたちですが、個人的な元祖ヤンデレヒロインは有馬@カレカノです。
さて、一世を風靡したヤンデレですが、そもそも“ヤンデレ”という属性は何故生まれたのでしょうか。僕は、「登場するキャラクターが、何故かみんな俺のことを好きになる」という、ギャルゲ・エロゲの基本構造に端を発しているのではないか、と考えています。通常、好きな女の子、かわいい女の子が自分に好意を持ってくれるというのは、特別な、嬉しいシチュエーションです。しかし、世にあふれる“ギャルゲ的なもの”において、ヒロインが自分を好きになるということは、もはや極めて普通なことなのです。『狼と香辛料』では“どんなに楽しく、幸せな状況も、慣れると感性が鈍磨し、輝かしい時間は失われる”という事に対する不安と恐怖が描かれています。絶対的に都合のいい擬似恋愛を繰り返した結果、僕らは徐々に、不感症になっているのです。
ですから、そこにスパイスとして、「全校生徒の憧れであり、自分の手が届かないはずの」相手や、「日頃何かと自分に突っかかってきたり、クールだったり」、「血や戸籍上の繋がりがあり、本来は許されない関係だったり」、「他の人のものだったり」、「相手は人間ではなかったり」といったハードルを設定し、そのハードルを乗り越える困難さ・達成感を、キャラクターから主人公に対する思慕に説得力を与える材料にしているのだと思います。しかし、そうした設定も繰り返されるにつれパターン化(王道化)し、やがては新鮮さと希求力を失っていきます。
また、僕が好んでフレーズを引用する歌に天地無用の「恋愛の才能」があります。
“わかってるの キミの気持ち わたしだって同じたけど
「恋人」と 呼ばれたとき もうそれは恋じゃないのよ”
基本的に少年漫画における恋愛の要素が全部詰まってる歌だと思うのですが、想いを伝えて、それが受け入れられた時点で、基本的にドラマとしての物語は完結してしまい、そこからは幸福な(つまらない)日常が繰り返されるだけなんですね。では、ヒロインがみんな主人公が好きなギャルゲーではどのようにこの問題に対処しているかといえば、「主人公は異常に鈍感」という解決法がとられ、プレイヤーにストレスを与え続けているわけです。そこに登場した新たな方法論が、“ヤンデレ”なのではないでしょうか。
ヤンデレキャラクターの多くは、主人公に対して異様な執着と愛を持っています。しかし、行き過ぎた想いが、主人公にとって重かったり、主人公を拘束したり、主人公に身体的な害を与えたりするわけです。こうした主人公に対する負荷は、物語の種になります。ところが、“ヤンデレ”においては、プレイヤーにストレスを与えると同時に、「こんなに常軌を逸するほど、この娘は自分が好きなんだ」という、薄暗い満足を与えてくれるんですね。「彼女が俺のことを好き」の向こうにさらにドラマを用意しつつ、不感症気味のプレイヤーに対しても、愛されている実感を与えるという、コロンブスの卵的解決と言えるでしょう。それは、主人公をとりあえず好きになる類型的なキャラクター造型・物語に対するアンチテーゼでもあります。
しかし、アンチテーゼとして、驚きと新鮮さを企図した筈の“ヤンデレ”は、今急速にその意味と、ポジションを解体されつつあります。見つけ出すのではなく、受容することを“萌え”の基本とする現代のオタク界においては、もはやヤンデレは「流行っているからとりあえず乗っかっておこう」という種類のものになりつつあります。ヤンデレが好みか以前に、「ヤンデレが好きと言っておけば、なんだかわかっているオタク風だし」的なね。結構オタク界ってのは「同調圧力」と「知識・趣味思考の階層意識」があって、流行っているものに乗っからないスタンスをとるのは、意外と怖く、抵抗があるんですね。
趣味の共有や、“自分が好きなものを相手も気に入ってくれる”というのは、オタクに限らず嬉しいことです。しかし、僕らがヤンデレの素晴らしさを訴え、広めようとするほど、ヤンデレのもつ衝撃性は薄れ、後には“お約束”と“属性”という形に解体されたヤンデレが残る……というのが、2007年末の状況だと思います。語り手たちがヤンデレを愛すれば愛するほど、その素晴らしさを熱く語ってメジャーになるほど、裏道・変化球としての“ヤンデレ”はその意味を喪失していく……この、本来ポジティブな気持ちが、対象にとって皮肉にもマイナスに作用するって状況は、ある意味“ヤンデレ”的だなぁと思う次第です。
さて、一世を風靡したヤンデレですが、そもそも“ヤンデレ”という属性は何故生まれたのでしょうか。僕は、「登場するキャラクターが、何故かみんな俺のことを好きになる」という、ギャルゲ・エロゲの基本構造に端を発しているのではないか、と考えています。通常、好きな女の子、かわいい女の子が自分に好意を持ってくれるというのは、特別な、嬉しいシチュエーションです。しかし、世にあふれる“ギャルゲ的なもの”において、ヒロインが自分を好きになるということは、もはや極めて普通なことなのです。『狼と香辛料』では“どんなに楽しく、幸せな状況も、慣れると感性が鈍磨し、輝かしい時間は失われる”という事に対する不安と恐怖が描かれています。絶対的に都合のいい擬似恋愛を繰り返した結果、僕らは徐々に、不感症になっているのです。
ですから、そこにスパイスとして、「全校生徒の憧れであり、自分の手が届かないはずの」相手や、「日頃何かと自分に突っかかってきたり、クールだったり」、「血や戸籍上の繋がりがあり、本来は許されない関係だったり」、「他の人のものだったり」、「相手は人間ではなかったり」といったハードルを設定し、そのハードルを乗り越える困難さ・達成感を、キャラクターから主人公に対する思慕に説得力を与える材料にしているのだと思います。しかし、そうした設定も繰り返されるにつれパターン化(王道化)し、やがては新鮮さと希求力を失っていきます。
また、僕が好んでフレーズを引用する歌に天地無用の「恋愛の才能」があります。
“わかってるの キミの気持ち わたしだって同じたけど
「恋人」と 呼ばれたとき もうそれは恋じゃないのよ”
基本的に少年漫画における恋愛の要素が全部詰まってる歌だと思うのですが、想いを伝えて、それが受け入れられた時点で、基本的にドラマとしての物語は完結してしまい、そこからは幸福な(つまらない)日常が繰り返されるだけなんですね。では、ヒロインがみんな主人公が好きなギャルゲーではどのようにこの問題に対処しているかといえば、「主人公は異常に鈍感」という解決法がとられ、プレイヤーにストレスを与え続けているわけです。そこに登場した新たな方法論が、“ヤンデレ”なのではないでしょうか。
ヤンデレキャラクターの多くは、主人公に対して異様な執着と愛を持っています。しかし、行き過ぎた想いが、主人公にとって重かったり、主人公を拘束したり、主人公に身体的な害を与えたりするわけです。こうした主人公に対する負荷は、物語の種になります。ところが、“ヤンデレ”においては、プレイヤーにストレスを与えると同時に、「こんなに常軌を逸するほど、この娘は自分が好きなんだ」という、薄暗い満足を与えてくれるんですね。「彼女が俺のことを好き」の向こうにさらにドラマを用意しつつ、不感症気味のプレイヤーに対しても、愛されている実感を与えるという、コロンブスの卵的解決と言えるでしょう。それは、主人公をとりあえず好きになる類型的なキャラクター造型・物語に対するアンチテーゼでもあります。
しかし、アンチテーゼとして、驚きと新鮮さを企図した筈の“ヤンデレ”は、今急速にその意味と、ポジションを解体されつつあります。見つけ出すのではなく、受容することを“萌え”の基本とする現代のオタク界においては、もはやヤンデレは「流行っているからとりあえず乗っかっておこう」という種類のものになりつつあります。ヤンデレが好みか以前に、「ヤンデレが好きと言っておけば、なんだかわかっているオタク風だし」的なね。結構オタク界ってのは「同調圧力」と「知識・趣味思考の階層意識」があって、流行っているものに乗っからないスタンスをとるのは、意外と怖く、抵抗があるんですね。
趣味の共有や、“自分が好きなものを相手も気に入ってくれる”というのは、オタクに限らず嬉しいことです。しかし、僕らがヤンデレの素晴らしさを訴え、広めようとするほど、ヤンデレのもつ衝撃性は薄れ、後には“お約束”と“属性”という形に解体されたヤンデレが残る……というのが、2007年末の状況だと思います。語り手たちがヤンデレを愛すれば愛するほど、その素晴らしさを熱く語ってメジャーになるほど、裏道・変化球としての“ヤンデレ”はその意味を喪失していく……この、本来ポジティブな気持ちが、対象にとって皮肉にもマイナスに作用するって状況は、ある意味“ヤンデレ”的だなぁと思う次第です。
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コメント
無題
スティーブン・キングのミザリーが元祖にして完成形なような気がします
posted by 病んデレって云えば at
2007/12/26
17:15
[ コメントを修正する ]
ヤンデレの元祖にして完成形といったら
牡丹灯篭とか振袖火事とかでしょう。
いや、もっとさかのぼれば世界各地の神話なんかでも
ありがちなシチュかもしれませんよ、ヤンデレは。
牡丹灯篭とか振袖火事とかでしょう。
いや、もっとさかのぼれば世界各地の神話なんかでも
ありがちなシチュかもしれませんよ、ヤンデレは。
posted by at
2007/12/27
17:33
[ コメントを修正する ]
>病んデレって云えばさん
ミザリー、なるほど(ぽむ)
>02
シチュエーションとしては王道ですが、「名前を与えられたとき」から陳腐化とオタ界隈での消費が始まる気がします。
ミザリー、なるほど(ぽむ)
>02
シチュエーションとしては王道ですが、「名前を与えられたとき」から陳腐化とオタ界隈での消費が始まる気がします。
posted by なかざと at
2007/12/28
00:27
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