『グイン・サーガ』アニメ化だそうですが、これを聞いて耳を疑った人も多いのではないでしょうか。栗本薫さん原作の小説『グイン・サーガ』は1979年に刊行スタートしたヒロイック・ファンタジー小説で、豹頭の戦士・グインを中心に“中原”世界の人々と国の興亡を描いています。当初、全100巻での完結(!)を予定していましたが、本編第100巻の『豹頭王の試練』を迎えても物語は収束する兆しを見せず、2008年8月現在、正伝が122巻、外伝が21巻を重ねています。
異境に突如現れた豹頭の戦士グイン、飄々として憎めない“紅の傭兵”イシュトバーン、そして聖王国パロの聖双生児の一人レムス。未踏の辺境ノスフェラスを共に旅した3人が、やがてケイロニア、モンゴール、パロを統べる王として対峙していく物語は、まさに大河ドラマと呼ぶにふさわしい内容です。…個人的には、我らがグイン将軍がツンギレロリ皇女にメロメロになってしまい、ツンギレロリ皇女が淫魔にエロエロにたらしこまれたりしたあたりでついていけなくなってしまったので、最新の中原情勢には疎いのですが。
物語が進むにつれて魔術や人外地球外の存在を交えたドロンドロンの暗闘に突入し、登場人物がみんな目つきが悪く、悲壮になっていく『グイン・サーガ』ですが、少なくとも序盤は胸躍る冒険小説の色合いが濃いです。パロの古代機械により、未踏の辺境ノスフェラスに送り込まれた、レムスとリンダの双子。彼らを絶対的な強さを持つ豹頭の戦士グインと、やんちゃで精悍だった頃のイシュトバーンが、半獣半人の蛮族セム族、イドの怪物、そしてモンゴール大公国の追っ手らから守り抜く、まさに正調ヒロイックファンタジーなのです。女の子とパンツがいっぱい出てこないとDVDも売れない時代、こうした作品がアニメ化されるのは、やはり嬉しいですね。
とはいえ、気になるのはやはり、どこまでアニメ化できるかです。大河ドラマ系の長編アニメ作品といえば、『銀河英雄伝説』。こちらは徳間デュアル文庫では本編20冊、外伝9冊ですが、それらをカバーするために劇場版アニメ3作、OVA本編110話、外伝52話が必要でした。乱暴ですが、これを基準に考えると、『グイン・サーガ』最新巻までを映像化しようとすると、600話~700話ぐらいが必要になるでしょうか(笑)。キリよく52クールと考えると、13年ぐらいかければ「今の」グイン・サーガには追いつきそうです。
……しかし、栗本薫さんは、「月刊栗本薫」と言われるほど超多作の作家。「今」から考えて13年前は、第50巻「闇の微笑」が出た頃。その頃から今までに、外伝含めて80作以上増えてることを考えると……考えるだけ無駄そうですね。しかし、媒体を考えれば、むしろノスフェラス編に絞ったほうが、良作になるかもしれません。『グイン・サーガ』を未読の人は、良質のヒロイックファンタジーをお楽しみに、既読の人は、やぶにらみの暗君レムスのショタッ子時代や、やっぱり変なのに憑かれちゃったイシュトや、家庭の問題できっつい小娘に振り回されっぱなしのグインが、大自然や軍勢だけを相手に生き生きと戦っていた頃を懐かしみつつ楽しみましょう。放送は2009年春ってことなので少し先ですが、じっくり準備していいものに仕上げてほしいですね。
異境に突如現れた豹頭の戦士グイン、飄々として憎めない“紅の傭兵”イシュトバーン、そして聖王国パロの聖双生児の一人レムス。未踏の辺境ノスフェラスを共に旅した3人が、やがてケイロニア、モンゴール、パロを統べる王として対峙していく物語は、まさに大河ドラマと呼ぶにふさわしい内容です。…個人的には、我らがグイン将軍がツンギレロリ皇女にメロメロになってしまい、ツンギレロリ皇女が淫魔にエロエロにたらしこまれたりしたあたりでついていけなくなってしまったので、最新の中原情勢には疎いのですが。
物語が進むにつれて魔術や人外地球外の存在を交えたドロンドロンの暗闘に突入し、登場人物がみんな目つきが悪く、悲壮になっていく『グイン・サーガ』ですが、少なくとも序盤は胸躍る冒険小説の色合いが濃いです。パロの古代機械により、未踏の辺境ノスフェラスに送り込まれた、レムスとリンダの双子。彼らを絶対的な強さを持つ豹頭の戦士グインと、やんちゃで精悍だった頃のイシュトバーンが、半獣半人の蛮族セム族、イドの怪物、そしてモンゴール大公国の追っ手らから守り抜く、まさに正調ヒロイックファンタジーなのです。女の子とパンツがいっぱい出てこないとDVDも売れない時代、こうした作品がアニメ化されるのは、やはり嬉しいですね。
とはいえ、気になるのはやはり、どこまでアニメ化できるかです。大河ドラマ系の長編アニメ作品といえば、『銀河英雄伝説』。こちらは徳間デュアル文庫では本編20冊、外伝9冊ですが、それらをカバーするために劇場版アニメ3作、OVA本編110話、外伝52話が必要でした。乱暴ですが、これを基準に考えると、『グイン・サーガ』最新巻までを映像化しようとすると、600話~700話ぐらいが必要になるでしょうか(笑)。キリよく52クールと考えると、13年ぐらいかければ「今の」グイン・サーガには追いつきそうです。
……しかし、栗本薫さんは、「月刊栗本薫」と言われるほど超多作の作家。「今」から考えて13年前は、第50巻「闇の微笑」が出た頃。その頃から今までに、外伝含めて80作以上増えてることを考えると……考えるだけ無駄そうですね。しかし、媒体を考えれば、むしろノスフェラス編に絞ったほうが、良作になるかもしれません。『グイン・サーガ』を未読の人は、良質のヒロイックファンタジーをお楽しみに、既読の人は、やぶにらみの暗君レムスのショタッ子時代や、やっぱり変なのに憑かれちゃったイシュトや、家庭の問題できっつい小娘に振り回されっぱなしのグインが、大自然や軍勢だけを相手に生き生きと戦っていた頃を懐かしみつつ楽しみましょう。放送は2009年春ってことなので少し先ですが、じっくり準備していいものに仕上げてほしいですね。
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昨日は攻殻機動隊2.0の初日舞台挨拶に行ってきました。登壇したのは押井守監督、榊原良子さん、田中敦子さん、大塚明夫さん。
(;゚Д゚) (゚Д゚;) (;つД⊂)ゴシゴシ(゚Д゚)
ああもう、この仕事についてよかったなぁ、と。僕にとって榊原良子さんってのはもう、ほぼ初恋の声と言っていいぐらいの役者さんなのですよ。林原さんや國府田さんは、僕にとってはラジオの人なんです、どちらかと言えば。役者としての声優として、好きな人、好きだった人、と聞かれて思い浮かぶのは、やはり灰色の魔女であり、特車二課第一小隊長であり……の榊原良子さんなのです。で、榊原良子さんの後継たる声質と演技、硬質なプロフェッショナルなんだけど、どこか艶があるといった役柄がハマる人として同じく好きなのが田中敦子さん。この共演が直接見られるとは! 特に榊原良子さんはメディア露出が少ない人なので、非常に貴重な機会です。
押井さんはつくづく僕のツボをつく人だなぁ……と考えていたんですが、以前押井監督に(合同でですが)取材したときに、押井作品に登場する女性はすべて自分の好みのタイプ、自分が惚れられるキャラクターじゃないと映画なんて撮れない、と話しているのを聞いて、違うんだと気づきました。アニメーションや声というジャンルにおける、僕の女性の好みそのものが、相当な部分で押井監督がフィルムに叩きつけてきた情念に影響されてるんじゃないかと感じたのです。
そして僕の世代のオタクで、押井守や大塚明夫の名を聞いてきゅんとしない奴はいるのでしょうか? そんなわけで、あまりに豪華な登壇者にすっかり酔っ払ってしまった次第です。トークショーの詳しい内容は、週明けぐらいのファミ通.comを見てもらいたいのですが、ひとつだけ強く印象に残ったのは、榊原良子さんが、“人形使い”の役に入っていくときの方法。
3週間にわたって試行錯誤をしながら、台詞をほぼ全部頭に入れたという榊原さん。台詞がすっと自分の中に入ってきて、映像の中で動いてくる自分がイメージできるまで稽古を繰り返し、歩き方まで役柄に引っ張られて変わって……というお話をしていました。この話を聞いて、ちょっとぞわっとしたのが、ある若い声優さんのことを思い出したからです。
以前沢城みゆきさんが役作りについて話しているときに、キャラクターの考え方や動きをイメージできるように、まずキャラクターとして歩いてみて、歩き方から掴んでいく……というような話をしていたのを思い出したんです。そうした手法が演劇や芝居の世界でどれくらいスタンダードなのかは知りませんが、榊原良子さんのような、押井守監督をして「僕の作品は榊原良子なしには成立しない」とまで言わせるような大女優が、それほどの密度と熱量で役作りをしていることにも感動しましたし、沢城さんのような年若い役者が、芝居や役柄にとことん向かい合った結果、そんな大女優とよく似た役作りの過程に至っていることにそらおそろしいものを感じたんですね。
業界全体がアイドル人気的な方向に流れていますが、どうしてどうして、若い世代にも役者はちゃんと育っているんだなぁと、なんとなくうれしくなったのでした。
それはそうと、攻殻機動隊の人形使いを男性→女性に変えて榊原良子さんを起用した押井監督。スカイ・クロラでも、原作の男性を女性に変えて、榊原良子さんを起用しているとか。ほんとに押井監督も好きだなぁ、というか。
いいぞ、もっとやってください。
(;゚Д゚) (゚Д゚;) (;つД⊂)ゴシゴシ(゚Д゚)
ああもう、この仕事についてよかったなぁ、と。僕にとって榊原良子さんってのはもう、ほぼ初恋の声と言っていいぐらいの役者さんなのですよ。林原さんや國府田さんは、僕にとってはラジオの人なんです、どちらかと言えば。役者としての声優として、好きな人、好きだった人、と聞かれて思い浮かぶのは、やはり灰色の魔女であり、特車二課第一小隊長であり……の榊原良子さんなのです。で、榊原良子さんの後継たる声質と演技、硬質なプロフェッショナルなんだけど、どこか艶があるといった役柄がハマる人として同じく好きなのが田中敦子さん。この共演が直接見られるとは! 特に榊原良子さんはメディア露出が少ない人なので、非常に貴重な機会です。
押井さんはつくづく僕のツボをつく人だなぁ……と考えていたんですが、以前押井監督に(合同でですが)取材したときに、押井作品に登場する女性はすべて自分の好みのタイプ、自分が惚れられるキャラクターじゃないと映画なんて撮れない、と話しているのを聞いて、違うんだと気づきました。アニメーションや声というジャンルにおける、僕の女性の好みそのものが、相当な部分で押井監督がフィルムに叩きつけてきた情念に影響されてるんじゃないかと感じたのです。
そして僕の世代のオタクで、押井守や大塚明夫の名を聞いてきゅんとしない奴はいるのでしょうか? そんなわけで、あまりに豪華な登壇者にすっかり酔っ払ってしまった次第です。トークショーの詳しい内容は、週明けぐらいのファミ通.comを見てもらいたいのですが、ひとつだけ強く印象に残ったのは、榊原良子さんが、“人形使い”の役に入っていくときの方法。
3週間にわたって試行錯誤をしながら、台詞をほぼ全部頭に入れたという榊原さん。台詞がすっと自分の中に入ってきて、映像の中で動いてくる自分がイメージできるまで稽古を繰り返し、歩き方まで役柄に引っ張られて変わって……というお話をしていました。この話を聞いて、ちょっとぞわっとしたのが、ある若い声優さんのことを思い出したからです。
以前沢城みゆきさんが役作りについて話しているときに、キャラクターの考え方や動きをイメージできるように、まずキャラクターとして歩いてみて、歩き方から掴んでいく……というような話をしていたのを思い出したんです。そうした手法が演劇や芝居の世界でどれくらいスタンダードなのかは知りませんが、榊原良子さんのような、押井守監督をして「僕の作品は榊原良子なしには成立しない」とまで言わせるような大女優が、それほどの密度と熱量で役作りをしていることにも感動しましたし、沢城さんのような年若い役者が、芝居や役柄にとことん向かい合った結果、そんな大女優とよく似た役作りの過程に至っていることにそらおそろしいものを感じたんですね。
業界全体がアイドル人気的な方向に流れていますが、どうしてどうして、若い世代にも役者はちゃんと育っているんだなぁと、なんとなくうれしくなったのでした。
それはそうと、攻殻機動隊の人形使いを男性→女性に変えて榊原良子さんを起用した押井監督。スカイ・クロラでも、原作の男性を女性に変えて、榊原良子さんを起用しているとか。ほんとに押井監督も好きだなぁ、というか。
いいぞ、もっとやってください。
今週のヤンマガの編集者による巻末コメントが、炎上の兆しです。内容を引用してみると、
とのこと。今回は、取材者側の立場でこの意見について書いてみたいと思います。
まず、「キャラクターについて声優がのうのうと語る」とこの編集氏が批判している作品ですが、ぼやかしたままでは話がしにくいのではっきり書くと、僕には『xxxholic』の大原さやかさんや福山潤さんを指しているとしか思えません。
キャラクターについて深く考え、自分の言葉で語れる声優さん…と考えると、自分の場合大原さやかさんと沢城みゆきさんが思い浮かびます。今現在進行形で動いているヤンマガの作品といえば『xxxholic』ぐらいです。そして「TVカメラの前で」作品について語る機会があるような作品は非常に限られます。ちなみに、僕が一番最近に聞いたxxxholicキャストのコメントはこんな感じです。
新シリーズは侑子や四月一日たち4人の絡みが満載!TAFの大トリを飾ったTVアニメ『xxxHOLiC◆継』スペシャルステージ[animate.tv]
とりわけ大原さやかさんが、キャラクターに対する強い愛着と理解を持って演じているのを感じてもらえればと思います。正直、あの文章からは『xxxholic』しか連想しませんでしたし、他の作品のことなら、看板作品に誤爆するような書き方はより性質が悪いと言わざるをえません。
さて。「TVで声優がキャラクターについて語ること」をもって「声優が調子に乗っている」という批判がナンセンスなことは、番組の作り手の視点で考えてもらえればすぐにわかると思います。その番組では、フリートーク中に声優がとうとうと語りだしたのでしょうか? おそらく、「演じられたキャラクターについて教えてください」「1年ぶりに演じていかがでしたか?」「自分に似ているところは?」といった、定形の質問が行われ、それに対するレスポンスとして回答しているはずです。
そうした質問を投げかけられた場合、声優さんの反応は大きく分けて2通りです。アフレコ前に渡された設定資料の内容を語り、スタッフにされた指示の内容を語る。もうひとつは、原作や台本を読み込んだり、以前出演した際の経験から、自分なりに消化したキャラクター像を語るか、です。取材者の視点から見て、面白いのは圧倒的に後者であり、大原さんや沢城さん、キャラクター解釈という意味では釘宮さんとかもですね、のことは役者・表現者として尊敬していますし、聞き手としても楽しみにしているのです。
キャラクターについて愛着を持つ、理解しようとする、原作を読み込む、そして語ることが仕事の場で自分の言葉で語る…という、僕の価値観では「仕事に取り組む姿勢として、100%肯定される」ことを、「調子に乗るな」と捉える人が制作サイドの中にいるということは、ちょっとした衝撃であり、ショックでした。僕は、「キャラクターを演じるために原作全部読みました、愛着を持って演じてて今では分身みたいに思っています」と言われて嫌な気がする原作者は、よほど偏屈な変わり者だけだと思っていましたから。
また、巻末コメントで、今この内容を書く理由がまた、理解できません。今後、ヤンマガ作品でキャラクターを演じる声優は、キャラについて答えるときに一瞬躊躇するでしょうし、正直聞き手も困惑します。声優が好きな人なら、ヤンマガになんとなくネガティブな印象を持つことも多いでしょう。小学館問題で漫画編集者が負の取り上げられ方をすることが多い時期に、なぜこのような文章を書くのか。狙いはなんなのか。
いくら考えてもわからないのが、どうにも居心地が悪いのです。散々考えた挙句、結局「何も考えないで書いたんだろうな」という結論に着地したんですが。
声優さんたちは、仕事の一環として、パブリシティのためにキャラクターについて語っています。そして、原作やキャラクターを大事にする気持ちがあるからこそ、キャラクターについて考え、悩み、忙しい中原作にも触れるのです。少なくとも、アニメ制作の現場において、原作の編集者と声優のどちらがキャラクターに近いところにいるか、視聴者・読者は誰の言葉を求めているかを考えると、件の発言は、少なくとも「紙面においておおっぴらにプロが書くべき言葉ではない」のではないか? という結論にしかなりませんでした。
おまけ 「もうやめて、冠茂のHPはもう0よ! 叩くなら俺を叩け!」という男気ツンデレなら理解はできます。
昨今の声優の一部は調子に乗ってる、と個人的に思う。 演じたキャラの心根や背景についてTVなどで原作者さながらのうのうと語りすぎる。誰とは言わないが「お前が作ったキャラじゃないだろ」と思うくらいシレッと語る。なんつーか「役をいただいている」という気持ちを素で持ってる人だけが売れてほしいなぁ。 |
とのこと。今回は、取材者側の立場でこの意見について書いてみたいと思います。
まず、「キャラクターについて声優がのうのうと語る」とこの編集氏が批判している作品ですが、ぼやかしたままでは話がしにくいのではっきり書くと、僕には『xxxholic』の大原さやかさんや福山潤さんを指しているとしか思えません。
キャラクターについて深く考え、自分の言葉で語れる声優さん…と考えると、自分の場合大原さやかさんと沢城みゆきさんが思い浮かびます。今現在進行形で動いているヤンマガの作品といえば『xxxholic』ぐらいです。そして「TVカメラの前で」作品について語る機会があるような作品は非常に限られます。ちなみに、僕が一番最近に聞いたxxxholicキャストのコメントはこんな感じです。
新シリーズは侑子や四月一日たち4人の絡みが満載!TAFの大トリを飾ったTVアニメ『xxxHOLiC◆継』スペシャルステージ[animate.tv]
とりわけ大原さやかさんが、キャラクターに対する強い愛着と理解を持って演じているのを感じてもらえればと思います。正直、あの文章からは『xxxholic』しか連想しませんでしたし、他の作品のことなら、看板作品に誤爆するような書き方はより性質が悪いと言わざるをえません。
さて。「TVで声優がキャラクターについて語ること」をもって「声優が調子に乗っている」という批判がナンセンスなことは、番組の作り手の視点で考えてもらえればすぐにわかると思います。その番組では、フリートーク中に声優がとうとうと語りだしたのでしょうか? おそらく、「演じられたキャラクターについて教えてください」「1年ぶりに演じていかがでしたか?」「自分に似ているところは?」といった、定形の質問が行われ、それに対するレスポンスとして回答しているはずです。
そうした質問を投げかけられた場合、声優さんの反応は大きく分けて2通りです。アフレコ前に渡された設定資料の内容を語り、スタッフにされた指示の内容を語る。もうひとつは、原作や台本を読み込んだり、以前出演した際の経験から、自分なりに消化したキャラクター像を語るか、です。取材者の視点から見て、面白いのは圧倒的に後者であり、大原さんや沢城さん、キャラクター解釈という意味では釘宮さんとかもですね、のことは役者・表現者として尊敬していますし、聞き手としても楽しみにしているのです。
キャラクターについて愛着を持つ、理解しようとする、原作を読み込む、そして語ることが仕事の場で自分の言葉で語る…という、僕の価値観では「仕事に取り組む姿勢として、100%肯定される」ことを、「調子に乗るな」と捉える人が制作サイドの中にいるということは、ちょっとした衝撃であり、ショックでした。僕は、「キャラクターを演じるために原作全部読みました、愛着を持って演じてて今では分身みたいに思っています」と言われて嫌な気がする原作者は、よほど偏屈な変わり者だけだと思っていましたから。
また、巻末コメントで、今この内容を書く理由がまた、理解できません。今後、ヤンマガ作品でキャラクターを演じる声優は、キャラについて答えるときに一瞬躊躇するでしょうし、正直聞き手も困惑します。声優が好きな人なら、ヤンマガになんとなくネガティブな印象を持つことも多いでしょう。小学館問題で漫画編集者が負の取り上げられ方をすることが多い時期に、なぜこのような文章を書くのか。狙いはなんなのか。
いくら考えてもわからないのが、どうにも居心地が悪いのです。散々考えた挙句、結局「何も考えないで書いたんだろうな」という結論に着地したんですが。
声優さんたちは、仕事の一環として、パブリシティのためにキャラクターについて語っています。そして、原作やキャラクターを大事にする気持ちがあるからこそ、キャラクターについて考え、悩み、忙しい中原作にも触れるのです。少なくとも、アニメ制作の現場において、原作の編集者と声優のどちらがキャラクターに近いところにいるか、視聴者・読者は誰の言葉を求めているかを考えると、件の発言は、少なくとも「紙面においておおっぴらにプロが書くべき言葉ではない」のではないか? という結論にしかなりませんでした。
おまけ 「もうやめて、冠茂のHPはもう0よ! 叩くなら俺を叩け!」という男気ツンデレなら理解はできます。